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盡心章句下



三十三




孟子曰、堯・舜性者也、湯・武反之也、動容周旋中禮者、盛徳之至也、哭死而哀、非爲生者也、經徳不囘、非以干祿也、言語必信、非以正行也、君子行法、以俟命而已矣。

孟子は言う、
「堯と舜は、本性のままの人間であった。湯王・武王は、自覚的に反省して徳を伸ばした人間であった。しかし彼らはいずれも、起居振舞すべてが礼に適っていた。まさに盛徳の窮みである。彼らが死者のために哭(な)いて哀悼したのは、生きている者たちに見せるためではなかった。彼らが徳を行なってよこしまがなかったのは、禄を求めるためではなかった。彼らが必ず言葉に信を守ったのは、故意に行いを正したものではなかった。君子とは正しい法を行なって、ただ天命を待つのみである。」

いにしえの聖人たちが、いかに仁義礼智の徳をその本性に従って行なっていたかを再び述べた章である。だが倫理として説教するためにはこのように言うしかないのであるが、人間の真実とは他者に見せて共感を求めるために哀悼の情を示すのであり、世間に評価されることをどこかで期待して正道を進むのであり、そして社会的信用を失わないために誠実に約束を守るのである。仏教やキリスト教にも言えることであるが、古代の倫理体系は個人の修練に重きを置きすぎて、往々にして他者との共感というもうひとつの大事な倫理を軽視する。よくて二義的なものとして扱い、悪ければ本章の孟子のように軽蔑するのである。しかしこれからの人類は、個人の徳の修養以上に他者への共感の精神を重んじなければならないに違いない。限られた資源のこの地球においては、独善は許されないのである。


(2006.04.14)



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