「仁ならば栄え、不仁ならば辱めらる」「禍福は己よりこれを求めざる者なし」という、常に主体的に仁の心を保つことがよい結果をもたらすという主張である。この章では「仁に居る」ことが苦境できちんと仕事をなし順境で心を引き締めることにつながって事業をプラスに導く、という客観的効能を説いているが、後の公孫丑章句上、七では「仁に居る」ことが心を奴隷の状態から解き放って「心の安宅」に導くという心理的効能を説く。この両面の効能を、孔子はこのように表現していた。
不仁者不可以久処約、不可以長処楽、仁者安仁、知者利仁。(『論語』里仁篇)
不仁の者は長く倹約したつつましい生活を続けることなどできないし、また長く安楽な生活に留まることもできない。仁者は仁に安らかにとどまる。智者は自分の仁を賢く運用する。
孔子や孟子の「仁に居る」ことへのすすめは、セネカの以下の主張と同じことを言っているのである。繰り返しになるが、引用する。
「最高の善とは偶然的なものを軽んじ、徳に喜ぶ心である。」と言っても、また「それは心の不屈な力であり、物事に経験が豊かであり、身振りが静かであるとともに、人情に厚く、交際にも思いやりのあることである」と言っても同じことである。更にまた、次のように定義することもできる。われわれが善き人と称するのは、善悪の心以外にはいかなる善悪も認めない人であり、また道義を選び、徳に満足し、偶然的なもののために得意にもならず、さりとて失望もせず、自分が自分に与えることのできる善以上に大きな善を知らず、真の快楽とは快楽を軽蔑することと考える、そういった人のことである。更に横道にそれてよいならば、以上と同じことを、その意味を損うことなく元のままに保って、あれこれ別の表現に移し変えることもできる。つまり、われわれは次のように言っても差支えないのではないか。幸福な人生の基は、自由な心であり、また高潔な、不屈にして強固な心であって、恐怖や欲望の圏外にある。それは徳行を唯一の善とし、背徳を唯一の悪とし、その他のものは価値のない雑物の集まりに過ぎないとする。こんな雑物は幸福な人生の何者を奪うこともなく、また加えることもなく、来ようが去ろうが最高の善には増減はないのである。
(『幸福な人生について』茂手木元蔵訳、より)
孔子・孟子は現実的な中国人らしく、客観的な効能についてややウエイトを置いた物言いになっているが、言っていることの本質はセネカと同じだ。仁者は客観的な効能があったとしても、真の楽しみはその中にない。君子は仁義礼智に自分を留めているので、領地や富貴などは楽しみの対象ではないと言うのである(盡心章句上、二十一)。
君子の自由でかつ善を欲する魂のあり方が、次第に明らかになってくる。偶然で得られた幸福に心奪われたりしないから、順境でも努力を怠りないし、偶然襲い掛かった災いを怨みもしないから、苦境でも平然と受け止める。さきに検討した『不動心』を育むことのすすめも、このような境地に至らんがためである。そして智者だから、自分が天から与えられたこの大切な命を使ってなすべき天命を知っている。だから智を使って自分に与えられた最善のことをする。一方で、天から与えられた大切な命を不智から来る余計な骨折りにさらしたりはしない。外部の環境も自分も全て計算に入れた上で行動するのである。
... nothing can happen to a wise man contrary to his expectations.(英語訳)
賢者には、彼の期待すること以外のことは、何一つ起こりようがないのである。(セネカ『心の平静について』 On tranquility of mind より)
篤信好学、守死善道、危邦不入、乱邦不居、天下有道則見、無道則隠、邦有道、貧且賤焉恥也、邦無道、富且貴焉恥也。(『論語』泰伯篇)
固い信念を持って学を好み、死ぬまでそれを維持して道をたたえる。危険な国には入らず、乱れた国には長居しない。天下に道が行われている時代には表に出て、道が行われていない時代には引き下がって隠れる。国に道が行われているならば、貧困で位なきは忸怩たることだ。だが国に道が行われていないならば、富んで位高きは忸怩たることだ。
一方、墨子にとってはこのような儒家の薦める君子の態度は機会主義的に見えて、許されざる臆病に見える。
儒者は言う、「君子とは鐘のようなものである。撃てば鳴り、撃たねば鳴らない。(つまり、君主が求めれば必ず応えるが、求めないのに応えるほど卑屈でない)」
反論しよう。「仁の人たるもの、目上に仕えて忠義を尽くし、親に仕えて孝行に務め、善を見れば顕彰し、過ちがあれば諌めるものだ。これが人臣たるものの道である。今、『撃てば鳴り、撃たねば鳴らない』と言い、こうして智慧を隠して力を惜しみ、ぼーっとして上からの問いを待って問われてから応える。君主や親にとって大きな利益のあることでも、問われないと応えない。あるいは今まさに大乱起ろうとして盗賊跋扈しようとしてもう今しか防ぐチャンスがないときに、それを自分だけが知っているとしよう。そのとき今そこに君主や親がいても、問われないと応えないのは、まさに大乱の賊ではないか。このように人臣でありながら忠義なく、子でありながら孝心なく、兄に仕えても悌心なく、人と交流しても誠実なく、普段は控えめにして朝廷に具申しないくせに、自分に利益があるならば、他人に先に言われないことを心配する。だが言ってもまだ己の利益にならないと考えれば、手をこまねいてうつむき深く嘆じたりしながら『それがし、まだそれについてはよく学んでおりませぬ』などとほざく。火急の大事であっても、なんと遠くに行動を避けるのか!
(『墨子』非儒篇より)
相当にカリカチュアライズされているが、敵の目から儒家の本質の一面を照らし出している。
墨子は、「自分の天命に従う」などと言って行動を謹むことを許さない。
現代、天命論者の言うことを取り上げるならば、これは天下の義をくつがえすものである。そして天下の義をくつがえす者は、天命論者である。これらは人民の憂いである。人民の憂いを喜ぶ者は、天下の人を亡ぼそうとする者である。ならばどうして義人が人の上に立つことが望まれるのか。墨子は言う、「義人が上にいれば、天下は必ず治まり、天帝・鬼神・山川の神は祭り主を得て、万民がその大利を受けるからである。」
それがなぜわかるのか。墨子は言う、「いにしえの殷の湯王は夏王朝によって亳(はく)に封建されるや、封地を百里(約40km)四方に整理縮約した。その小さな領土で人民と兼愛し、互いに利益を交換し、余剰は分け、人民を指導して、天帝・鬼神をあつく祀った。その報いとして天帝・鬼神は湯王を富ませ、諸侯は味方し、人民は親しみ、賢士ははせ参じた。こうして生きているうちに天下の王となって諸侯を正した。また周の文王は岐山に封建されるや、同じく封地を百里四方に整理縮約した。その小さな領土で湯王同様善政を行った。こうして近くの者はその政治に安んじ、遠くの者もその大徳を慕った。文王の噂を聞いた者は皆立ち上がってはせ参じ、のらくら者や歩けない者までもがはせ参じはしなくとも、『文王の領地がここまで来ないものだろうか、文王の民になりたいものだ』と願ったものだ。その報いとして天帝・鬼神は文王を富ませ、諸侯は味方し、人民は親しみ、賢士ははせ参じた。こうして生きているうちに(事実上)天下の王となり諸侯を正した。私がさきに『義人が上にいれば、天下は必ず治まり、天帝・鬼神・山川の神は祭り主を得て、万民がその大利を受けるからである』と言ったことは、この二王の歴史からわかるからである。」
湯王、文王はなぜ聖人なのか。彼らの実践 Praxis が歴史を動かしたからではないか。実践こそが、歴史を動かす原動力なのだ。ゆえにお前はなぜやらないのか。今やらなくていつやるのか。おまえのためらいは、天下に義をなくすことなのだ。つまり今なにもしないおまえは悪人だ。天命だなどと言い訳しないでさっさとやれ。
ならば、何によって天命論が悪人の道であるかがわかるだろうか。昔、いにしえの時代の窮迫した人民は、食って飲んでばかりで仕事をしなかった。こうして衣食も足りなくなり飢えて凍えるようになった。なのに『私が愚かにもなまけて仕事をしなかったからだ』と思わず『私の天命は貧しくあることだった』と言ったものだ。昔、いにしえの時代の暴君は、耳目の快楽と心のかたよりを抑えられず、親類にも従わず、ついに国を亡ぼして社稷を傾けてしまった。なのに『私が愚かにもなまけて善政をしなかったからだ』と思わず『私の天命は滅びることだった』と言ったものだ。(中略)
現代、天命論者の言うことを取り上げるならば、上は政治に務めなくなり、下はまじめに働かなくなる。上が政治に務めなければ刑政は乱れ、下がまじめに働かなくなれば財物が足りなくなる。上はもはやお供えおごそかに天帝・鬼神を祀ることをせず、下は天下が認める賢士を引き止めることをせず、外に向けては諸侯の賓客を応対もせず、内においては飢えと凍えに食と衣服を用意せず老弱を扶養しない。したがって「天命」などは、天帝、鬼神、人の三者の利とならない。なのに強いてこれを取り上げる者は、ただ邪言にまどわされてやっているだけのものであって、これ悪人の道である。
ゆえに墨子は言う、「今、天下の士・君子がまことに天下の富を欲して貧しさを嫌い、天下の治を欲して乱を嫌うのならば、天命論者の言うことを聞いてはならない。これは天下の大害である。」
(以上、『墨子』非命篇より)
しかし何もここまで墨子が言うように儒家が天命にかまけて怠慢を奨励しているわけではないのは、『孟子』本章の主張を見ればわかるであろう。ではどこに相違点があるのか?
上の『墨子』からの引用の後半の部分が、「実践は全体の利益であるから、必ずしなければならない」という論法になっていることに注目すべきである。孟子の主張が、「仁にいることが天の正しい道と合致しているから、結果として国にとっても自分にとって効能にもなる」という個人に注目した論法であることと対比をなしている。墨子の主張は前章でも言ったように自分以外のものに正当な根拠を求める倫理である。一方孟子の主張は自分の中の自分以外のものに正統な根拠を求める倫理である。そこに違いがある。前者はあえて言えば、全体の状況を無視した個人に断罪を下す傾向の考えだ。後者はあえて言えば、全体によって個人の心の純粋さが乱されるのを嫌う傾向の考えである。そして教団政策的には、儒家が個人の完成を優先させるのに対して墨家は集団の団結を重視することになるだろう。それらのことについては、また別の機会で検討しよう。
(2005.10.18)