告子章句下
十六
孟子曰、教亦多術矣、予不屑之教誨也者、是亦教誨之而已矣。
孟子は言う。
「教えるのにも、またいろんな方法がある。教え諭すのをよからぬこととして捨て置くのも、これまた教え諭す一つの道にすぎないのだ。」
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前章の裏返しである。性善説に立って、「人は誰でも舜のようになれる可能性がある」と説く孟子であるが、現実の人間はそれほど殊勝でもないし、素直に学ぼうともしない。そこで、「やる気のない奴にはいちいち過干渉せずに放置するのも、教育法の一つだ」と言うのである。性善説を放棄しているわけではないが、自暴自棄の不仁者をきっぱり捨てる孟子らしく、決して全ての子弟に優しい民主主義的教育者ではない。孔子も同様の教育観を言っている。「自分で調べない奴は、放置しろ」というネチケットと同様の見方である。本章を告子章句の末尾に置くことによって、性善説=全員が必ず賢くなる説ではないことを表明している。
以上で告子章句を終了する。最後の盡心章句は特に決まったテーマのない、雑多な文の寄せ集めである。基本的に一日で複数章ずつ見ていこうと思う。
(2006.03.08)