この章は、重要である。孟子は、君臣・長幼の秩序を絶対的な倫理と考えていない。天下には最も尊いものが三つあるという。すなわち、「爵」すなわち爵位の身分、「歯」すなわち年齢の功、そして「徳」すなわち人徳の道である。ここでいう「徳」とは人間のもつ優秀性のことであろう。
「爵」は朝廷という空間で秩序を作る体系である。「歯」は郷党すなわち地域社会で秩序を作る体系である。これらは人間が通常の生活意識において属する大小二つの社会であろう。現代的に解釈して「爵」が政府や会社で通用する秩序であり、「歯」が家族や学校で(あるいは日本的企業においては、相当程度会社組織内でも)通用する秩序であると言ってもかまわないだろう。しかし孟子はそういった日常生活の中で意識される秩序感覚のわく組みをいったん外してでも認識しなければならない秩序があるのだと説く。それが「徳」の大小なのである。告子章句上、十六では、「天爵」と「人爵」という概念が打ち出されている。「天爵」とは前の公孫丑章句上、七でも出てきた概念で、そこではその本質は仁であるとされる。またこの告子章句上、十六ではより詳細に「仁・義・忠・信、善を楽しみて倦まざる」ことと説明される。いずれも人間の社会的な徳であり、他者に働きかける行動倫理として正しいとされるべきものである。一方「人爵」とは「公・卿・大夫」のことだ。孟子は「天爵」を修めることが人間として大事であって、「人爵」は外面的なものにすぎないと主張している。これはラディカルな主張である。だから、離婁章句下、三で孟子は臣下をいじめる君主のことを「寇讎(仇か敵)」とまで言い切るのである。
君臣・長幼の秩序は、戦国時代当時の社会で人間の正しい道として人々に認知されていたはずである。この章の景丑の孟子への非難はそれを前提としている。斉は成り上がりの田氏が君主となった国である。それゆえ君臣の秩序をことさらに強調しなければならない事情もあったに違いない。孟子ももとより君臣・長幼の秩序を否定するわけがない。だがその秩序を支える実質は「徳」であって、それを尊重するのが人間として先に成すべきことであると反論するのである。君臣・長幼の秩序の尊重という当時の常識からスタートして、そこから逆に秩序を食い破りかねない倫理的正義を打ち出す。孔子では「秩序を支える徳の方がより重要である」という考えは漠然と説かれていたにすぎない。孟子はそれをはっきりと先鋭化して見せるのだ。これが、『孟子』が朱子によって四書の一つとして顕彰されるまで体制内宗教となった儒教にほとんど無視されてきた理由であり、明帝国の開祖朱元璋が『孟子』の内容に激怒して禁書扱いにした理由なのであろう。
君臣・長幼の秩序を前提として議論を行なう点は、墨子にも荀子にも韓非にも実は共通している。墨子は「自分の親が他人から尊重されたかったら、他人の親をも敬え」という論法を使うし、家臣は天下の利益のためならば己の事情を投げ打ってでも君主に働きかけろと主張する。荀子は君主が制度を制定することによって人間の秩序感覚を育成すべきだと説く。韓非にとっては君臣・長幼の秩序は前提としてあって、それを効果的かつ能率的に実行させるために法を用いよと主張するのである。このように、君臣・長幼の秩序は儒教の専売特許ではない。ポリス社会を知らない古代中国にあっては、少なくとも社会を作ることが人間の本質であることを認める限り何らかの序列による組織を必要なものとして想定せざるをえない。孟子はそのような前提に立った上で展開される戦国時代の社会思想の一つのバリエーションである。そしてその主張は、他のものに比べてむしろ秩序を相対化する要素を含んでいる。
高い「徳」を持つ賢者は君主といえども呼びつけにしてはならないし、賢者は呼びつけにするような君主に応じる必要もない。君主と賢者の関係は、ギブアンドテイクの関係なのである。君主は自らの「人爵」を投げ打って下に降りて誠意を示し、賢者はそのような君主の誠実に応えて全力を尽して仕事をする。萬章章句下、三での友人関係についての議論をここで想起しよう。孟子は「自分が年長なのを頼みにせず、自分が身分が上なのを頼みにせず、自分に立派な兄弟などがいるのを頼みにしないで友と付き合え。友とは、その者の人徳を友とするのだ。その他のものを頼みにしてはならない。」と説く。つまり、相手の「徳」を求めて得ようと思うならば、自分の年功(つまり「歯」)・身分(つまり「爵」)・自分の持つ親族等の背後関係といったものを一切置いといて求めなければならない。これらの優位性は、徳のある賢者を動かすのには役に立たないのである。
人間はどのような状況で「徳」の優位性に気付くべきなのか? ― これの答えも本章において用意されている。すなわち、「世を輔(たす)け民に長ずるには徳に如(し)くは莫し」。つまり世を治め民を率いる事業をしたいと願ったとき、人の上に立つ者は徳ある人材を尊重するしかない。そうしなければ天下を治める事業ができないからだ。既存の常識が支持する秩序をいったん外す必要があるのは、そのときだ。逆にそれを願わないのに既存の秩序を無視するのは、ただの無軌道とみなされるだろう。何か大きなよい目標のために事業を行いたいと願うときにだけ、人は既存の常識が支持する秩序感覚を外して、誠意をもって他人を求めなければならない。言うは易いが、なかなか行なえるものではない。
もっと解釈すれば、本章や萬章章句下、三で主張されていることは、君主と賢者は「爵」の交換関係によって結合するということである。君主は「人爵」を持っている。賢者は「天爵」を持っている。君主が「人爵」を投げ打って誠意を示す。賢者はオファーされた誠意と交換に「天爵」を君主に差し出す。「天爵」は賢者にとって手持ちの商品のように考えられているのである。儒者というのは一面で知識人であり、有職故実や歴史に詳しいし弁論家も多い。「私に働いて欲しいのだったら、あなたは何を差し出せるのですか?」という問いかけを君主にしているのである。孟子はかなりはっきりと個的存在としての賢者を想定している。これには戦国時代の感覚が背景にあるに違いない。前も言ったが、墨子教団の主張もまた、個があえて社会的献身と連帯を求めるところに同時代人への説得力があったのではないだろうか。
だが孟子の主張が現代と違うのは、賢者を動かせるのは人の上に立つ者が見せる誠意であって、提供する爵位や俸禄などではないという点である。つまり、常識的な上下関係をあえて打ち棄ててへりくだることが、相手にとって最大の誠意となるというわけだ。しかしながら、現代は身分秩序が存在しないので、このような誠意の示し方は戦国時代と違って大きな意義を持ちようがない。現代は(残念ながら?)金と契約が人間を結合させる主要原理となっている時代である。それでも金と契約だけでは動かせない何かが確実にあることを、人は知るべきなのであろう。
(2005.11.07)