盡心章句下
十七
孟子曰、孔子之去魯、曰遲遲吾行也、去父母國之道也、去齊、接淅而行、去他國之道也。
孟子は言う。
「孔子は、魯を去るときには『余はゆっくりとしか去れない』と言った。それは父母の国を去る礼儀であった。しかし斉を去るときには、といだ米をすくって立ち去った(あわてて立ち去ることの形容)。それはよその国を去る礼儀であった。」
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萬章章句下、一の中の一文とほとんど同じ。これも孟子の学校での決まり文句だったのであろう。盡心章句は、公孫丑など様々な弟子との問答が収録されている。それらはいずれも短い文章であるが、最末章一つ前にだけ萬章との長大な問答が載せられている。盡心章句はおそらく、前六篇の編集で漏れた文を集めた拾遺集なのであろう。
(2006.04.06)