第二巻、公孫丑章句は、大先生絶好調から始まる。ここでの聞き役、公孫丑(こうそんちゅう)は斉の出身だということだから、おそらくこの会話は孟子斉時代に公孫丑が聞いた実録を元に再構成したものであろう。
それにしても、訳していて恥ずかしくなるほどの大ボラである。いったい大先生は何を考えているのであろうか。『論語』でも子貢(しこう)が「不遜にしてもって勇となす者を悪(にく)む」(陽貨篇)と言っているではないか(この言葉は、当サイトホームページの最上段にも掲載しています)。管仲や晏嬰がどれだけ有能な政治家であったのかわからないのか。彼らは実績を作っただけではない(管仲の政策については、このサイトの「特集」内の「管仲の改革」を参照)。管仲は桓公に終生信任された忠臣である。晏嬰は忠臣ではなかったかもしれないが、斉の荘公を弑逆した崔杼(さいちょ)に「人望がある」と手を出させなかったほど世間に人気のある政治家であった。両者とも孔子が一定の評価をしていたのはこれまでに見たとおりだ。それを頭から否定する傲慢さは教条主義にも程があるではないか。現代の政治家を批判するのはその時代に生きている人の義務だ。だが、過去の政治家を一方的に批判するのは、何と視野が狭いのであろうか。
吉田松蔭はこの章を読んで、「管仲の罪は君臣父子の秩序をなおざりにしたことで、そのため彼の死後桓公の周りには信ずべからざる僭越の臣ばかりが残り、公子たちは相並んで反目し、結果桓公はその死後死体に蛆がたかっても葬る者とてない有様となって桓・管の覇業は空しいものとなった」と評する。斉の公室の保持が最優先だと考えたらそうかもしれない。しかし、天下は斉の公室のものであると同時に天下の天下だ。民を富ませた管仲の功績も少しは評価していいではないか。「人民がいちばん貴い。その次に社稷(国の神さま)が貴い。君主はそれに比べて軽い」(盡心章句下、十四)ではないのか。それはもちろん、現実に君主に説教するためには、「まず家を整え君臣の秩序を整えないと、子孫どころか自分の身も危うくなりますよ」といって脅すところから始めるしかないのだろうが、、、
この章で、曾子の次世代か次々世代の曾西が管仲を頭から否定したエピソードが引き合いに出されている。孟子の凝り固まったドグマ化は何も彼の創始ではなくて、前の世代からすでに始まっていたことが伺える。そのためだろう、孟子はこれから展開される心の分析に関しては錐でもみこむように深く探求するが、現実政治や経済についてはマッタクの不感症となってしまった。『鶏犬の声相聞こゆ』というぐらいにあまねく村々が寄り集まるほど斉の経済が豊かになったのは、どうやってそうなったのか。聖賢の人徳だけでそうなったとでもいうのか。いや、桓公・管仲は孟子の基準では聖賢でないから、「勢い」でそうなったのだろう。それで人民は今逆さ吊りの苦しみにあると言う。ユートピア思想は現代を批判するためにあるから、それはそれで必ず価値がある。だが現代を忘れて過去と未来だけを見るようになると、そこからは思考停止が始まるだろう。創始者を受け継いだ追随者たちにはなおさらその危険がある。基準はひたすら自分たちの想定するユートピアとしてのいにしえの時代しかなく、それを現代に実現させるため以外の政策は全て下劣極まるものだと考える。そしてこれが後の世代の儒教に遺伝する。
どうも孟子は美食家であったものの、彼の感受性の繊細さについては少々首をかしげざるをえない(離婁章句下、二六の言葉などを見ると、、)。とても、孔子のこの感受性にはかなわない。
政を為すに徳を以ってすれば、譬えば北辰(ほくしん。北極星)のその所に居て、衆星(もろほし)のこれを共(めぐ)るが如し。
(『論語』為政篇)
人間のあるべき秩序を星々の秩序に見立てることができるのは、華北の澄み渡った夜空から何かの霊感を受け取ることができた人だからだろう。孟子にはこのような感性はない。孟子は詳細で執拗な理論家であったが、この世のちょっとしたことから何かのヒントを見出すことができる柔軟な感性の人ではなかったようだ。
だが、私はそんな大先生の揚げ足取り中心にこの公孫丑章句を読んでいきたくない。
むしろ、この章句で私が注目して読んでいきたいと思っているのは、「君子は安定して確信の持てる心をいかに形成するべきか」という問題を孟子が相当組織的に考えていたのではないか、という点である。
わたしは、神に生きるために、律法によって律法に死んだ。わたしはキリストと共に十字架につけられた。生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。しかし、わたしがいま肉にあって生きているのは、わたしを愛し、わたしのためにご自身をささげられた神の御子を信じる信仰によって、生きているのである。わたしは、神の恵みを無にはしない。もし、義が律法によって得られるとするならば、キリストの死はむだであったことになる。
(『ガラテア人への手紙』より)
パウロのこの確信は、父なる全能の絶対神を想定しない古代中国思想では当然持てるわけがない。「神から召されている」という意識なしで、どうすれば自分の心に完璧な自信と社会への責任感を持てるのだろうか?
孟子は、韓非子と同じく生ぬるいところのない熱くて冷たい思想家である。そして、天上の絶対神も天国での救済も想定できない中で、自分に確信を持って行動し、かつ時勢が不利ならば退却して命を永らえるという二正面作戦を追求しようとする。それをこれから検討していきたい。
(2005.10.07)