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盡心章句下



十八



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孟子曰、君子之戹於陳蔡之間、無上下之交也。

孟子は言う。
「君子(ここでは孔子のこと)が陳と蔡の間で災難に遭ったのは、それらの国の君主にも家臣にも交際がなかったからである。」

孔子は衛の霊公が死去して跡目争いが勃発したとき、衛からまたも去ることにした。その後、陳、蔡、葉(しょう)といった南の諸国を目まぐるしく往来した。蔡にいるときに、楚から招聘の申し出があった。孔子は答礼に赴こうとした。しかしそれを聞きつけて、陳と蔡の大夫(上級家老)が謀議して孔子一行を野に包囲した。一行は食糧も尽きて、弟子には病人すら出たのである。そのとき、子貢は孔子に「先生の道は至大すぎて、誰も受け入れることができません。もう少し道を小さくなさったらどうですか?」と問うたのであった。しかしそれに対する孔子の答えは、本章句上、四十一での孟子のそれと同様のものであった。

離婁章句下、三で孟子は斉の宣王に「三つの礼あり」(三有礼)について述べた。すなわち、家臣がやむなき理由があって朝廷を去るときには、第一に君主が人をやってその者を国境まで送ってあげ、第二にその者が向う先の国に彼のことを推薦してあげ、第三に去った後でも三年間はその者の領地をそのままにしておいて、三年経っても戻ってこなければ初めて収公する。これが、君主たるもの去りゆく家臣を見送るための礼であると言うのである。だがそれをしないで去ろうとする家臣を妨害しようとする君主は、家臣にとって「仇か敵」なのである。孟子から見れば、孔子を妨害しようとした陳と蔡の君臣は、まさしく「仇か敵」となるであろう。そのような連中だったから、孔子はもとより交際もしなかったと言うのである。

陳と蔡の大夫が孔子を妨害した理由は、「孔子の言うことは、全て諸侯の欠点を突いたものであった。孔子は長く陳・蔡に留まっていたが、我ら大夫が行なったことは全て孔子の意向に反していた。今から孔子が大国の楚で用いられれば、必ず自分たちは苦境に陥るだろう」というものであった(『史記』孔子世家)。なるほどこれだけ聞けば、彼らの手前勝手な理屈ではある。しかし、孔子が招かれようとしていたのが、大国の楚であったことを考慮に入れるべきではないか。楚は前々から陳・蔡のような中原南辺の諸国にとって、脅威的存在であった。実際戦国時代に下れば、これらの国はすっかり楚に飲み込まれてしまう運命となるのだ。そのような楚が孔子を招いた理由が、単に賢者を招きたかっただけであっただろうか?むしろ最近急速に評判が高まっている先生の批判を口実にして、陳・蔡を攻撃する大義名分を得ようとする下心がなかったと言えば、戦乱の時代の諸侯として嘘であろう。おそらく陳・蔡の大夫は、何よりもそれを恐れて孔子の楚への道を妨害したのではないだろうか。結局、楚が救援軍を派遣して、陳・蔡の企みは失敗することになった。だがその後楚王も近臣の讒言に心変わりして、孔子の招聘を取りやめてしまったのであるが。それはおそらく楚の貴族たちにとっても、孔子が煙たい存在になりかねないと写ったからに違いない。

孔子やその後輩の孟子は、思想家である。だから、現実によって己の道を枉げたりしない。そのために諸侯に受け入れられないこともあれば、逆にリアルポリティークによって体よく利用されることだってあっただろう。それは致し方のないことだ。競争のあるところでは、生き残りのためにどうしても実利的判断を行なわざるをえない。孟子はだからこそ、利益を批判して仁義だけを求めるように諸侯に説いたのである。戦国時代という身も蓋もない実利重視の大競争時代に、あえて競争心を越えた人間性の道をトップに求めようとした彼は、愚かなドン・キホーテであったのだろうか?彼の理想は、確かに(当然のごとく)挫折したかもしれない。だが、決して無益だったわけではなかっただろう。利益の追求や競争は、あくまでも生きるための手段なのである。その上に、よりよく生きるという目的が必要なことは、古今東西にかくもたくさんの思想が打ち出されたことを見れば、実に明らかではないか。


(2006.04.06)



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