盡心章句上
四十
孟子曰、君子之所以教者五、有如時雨化之者、有成徳者、有達財者、有答問者、有私淑艾者、此五者、君子之所以教也。
孟子は言う。
「君子の教え方は、五通りである。一つ、頃合良く降る雨のように丁寧に目を掛けながら指導する。二つ、徳を育成する方向で教える。三つ、才能を伸ばす方向で教える。四つ、問いに答えるだけに止める。五つ、直接教えずに、君子の姿を見聞きして自分で学ばせる。以上の五つが、君子の教え方である。」
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告子章句末章に続く、教育論である。五つのうち後に行くにしたがって、教え方の密度は薄くなっていく。ただし、いくら目を掛けて指導するといっても、実の親は子供を教育するのに不適切であると以前孟子は言っていた(離婁章句上、十八)。親子の関係は善悪を責め合ったりするべきでないから、時には叱らなければならない教育には向かないと考えるのだ。
孟子の想定している教育は、近代社会の教育と前提が違う。義務教育でないし、学ぼうとする生徒の年齢も就学期間も人それぞれである。だから、人によっては突き放しておくのも長い目で見た教育法として有効なのであろう。志が合わなければ、去るのも致し方ない。生徒を大人として扱う教育である。現代の義務教育は生徒を大人として扱うべしと主張されるものの、「往(さ)る者は追わず、来る者は距(こば)まず」(本章句下、三十)の方針を取ることは事実上できない。近代社会の要求する能率的な人間教育法と、真に人間を伸ばすべき人間教育法とは、そもそもが矛盾しているのかもしれない。
(2006.03.28)