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盡心章句上



三十一




公孫丑曰、伊尹曰予不狎于不順、放太甲于桐、民大悦、太甲賢、又反之、民大悦、賢者之爲人臣也、其君不賢、則固可放與、孟子曰、有伊尹之志則可、無伊尹之志則簒也。

公孫丑が質問した。
公孫丑「伊尹は、『余は、わが君が先祖の違法に従わないのを見続けられない』と言って、太甲(たいこう)を桐(とう)に追放して反省を促しました。人民はこれを大いに喜びました。太甲は反省して賢明となりました。そこで伊尹は再び君主を元の地位に戻しました。人民はこれを大いに喜びました。このように賢者が人臣となったばあい、君主が賢明でなければ断固追放することは許されるのでしょうか?」
孟子「伊尹の志があれば、許される。しかし、伊尹の志がなければ、簒奪に過ぎない。」

伊尹と四代殷王の太甲とについては、萬章章句上、六を参照。このように太甲を追放した伊尹と、前漢代において即位した昌邑王を在位二十余日で廃した霍光(かくこう。? - BC68)とを併せて、「伊霍」と称されることがある。「伊霍」とは、国を思ってあえて君主の地位に手をかける家臣のことを指して使われる言葉である。ただし、伝説的人物である伊尹はどうかわからないが、前漢の霍光については昌邑王を廃した理由が「在位二十七日で三千余の罪を犯した」というものであった。精神異常であったとも思われるが、かなり作為の臭いがする。おそらくその廃立は、背後にあった権力争いの結果であったに違いない。何にせよ、専制君主の廃立を断行した霍光の措置は英断とされた。その後彼はお決まりの外戚のコースを辿って、娘を新しく即位した宣帝(在位BC74 - 49)の皇后に仕立てて、一族は栄華を極めた。しかしこれも多くの外戚の末路と一緒で、彼の死後に宣帝によって霍氏一族はことごとく誅殺されたのである。本章の言葉は、『三国演義』においても引用されている。すなわち、董卓が劉辧を廃位して劉協(献帝)を擁立しようとして、百官の前で建議したときのシーンである。そのとき盧植は董卓の建議に反対して、「伊霍」の故事を出して董卓にそれだけの識見があるのかと問うのである。そのとき盧植の言葉の中で、本章の「伊尹の志あれば則ち可なるも、伊尹の志なければ則ち簒うなり」が使われている。もちろんこれはフィクションである。

さて、本章もまた、大変有名な章である。条件付きであるが家臣が主君を追放することを認める内容のものであって、紂王を残賊と言い切って無道の君主の討伐を正当化した梁恵王章句下、八や、家臣をいじめる君主を「仇か敵」と表現した離婁章句下、三の主張などと軌を一にしている。

本章は、君主の地位に手を付けるという正当な秩序を覆す挙に出るならば、それを行なう家臣には賢者の伊尹のような私心なき志が必要であると説く。君臣の秩序は儒教にとってもとより重要な倫理である。通常はこれを踏み外すことは許されない。だから、本章句上、三十四で孟子が陳仲子のことを批判して「人たるものは、親戚・君臣・上下の秩序を無視するより大きな不義はない」と言うのである。しかし、だからといって、上下の秩序を絶対的な正義と考えて、人の上に立つ者がそれにかまけて仁義の道を行なわないことは許容されるべきではない。親戚・君臣・上下の秩序は、各人が他人との関係として個々に守るべき倫理である。他方政治家が取るべき仁義の道は、人の上に立つ者が社会全体に対して負うべき責任である。そして両者が衝突したとき、孟子は原理的に後者を優先するのだ。「人民がいちばん貴い。その次に社稷(国の神さま)が貴い。君主はそれに比べて軽い」(本章句下、十四)と言うのである。

しかし具体的に、上の者が不仁不義であるとき、下にいる者はどのような行動を取るべきなのであろうか。孟子は二つの道を示唆する。一つは、本章の伊尹のように君主を追放するか、または湯王や武王のように天下のために君主を成敗する。もう一つは、萬章章句下末章で言われたように、同姓ならば同族の別の君主にすげ替え、異姓ならば君主の下を立ち去る。

前者はいわば、日常の秩序をも覆さざるをえないような例外的革命状況だといえようか。そのような状況もありえることを示唆することによって、秩序を成り立たせているゆえんの根本的な原理があるのだということを、人の上に立つ者に警告する意義があるのである。それは、近代思想の社会契約 social contract と類比させて考えるべきであろう。通常状態の国家においては、秩序への挑戦や革命は厳しく斥けられなければならない。しかし国家というものは、それ自体が人民の合意によって成立したものであるということを(たとえフィクションであっても)想定することによって、初めて権力の根拠を常に問い直して、それへの盲目的な服従を疑うことが正当化されるのである。そもそも社会秩序は人間の生活を成り立たせている条件であって、それを無闇に破壊することは人間にとって自殺行為である。しかしながら、社会の秩序が人間の主体的な倫理的参加の総和として成立していることを忘却してしまったとき、社会秩序は構成員にとってよそよそしくどうでもよいものとして映るようになり、結果としてその社会は活力を失って停滞していくであろう。「秩序は守るべきであり、かつ絶対的に守るべきものではない」という孟子の二面的な主張は、活力ある社会の本質を突いた社会思想であって、ゆえに権力者にとっては相当に毒を持った思想である。明の太祖朱元璋を激怒させたゆえんがそこにある。

一方後者は、孟子が推奨する通常状況における倫理だと言えるだろう。同姓であるならいざ知らず、異姓ならば不仁不義の君主から立ち去ることも致し方ないと言うのである。もちろんそれは君主が人の上に立つ者としての責務を果たさないから立ち去るのであって、自分勝手な都合で立ち去ることを薦めているわけではない。君臣の関係を「義」すなわち情の入らない相互の義務関係と定義する孟子であるから、このように割り切った行動を主張するのである。だが吉田松蔭ならば孟子の主張に反対して、「死諌」すなわち腹を切って主君に反省を促せということになるだろう。それは、君臣の関係を儒家の主張のようにドライに「義」として割り切れない日本社会の風土がそうさせるのである。前にも言ったように、日本社会では、職場の関係を疎遠なものとして他方で家族の関係を親密なものとしてははっきり濃淡を区別する感覚が希薄であるようだ。おそらくその理由は、日本社会においてはある時期から「個」が成立したために、儒教的な差別愛というよりは全ての世間に全方位的に配慮するような心の構造を持つようになったからであろう。


(2006.03.22)



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