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告子章句下



十一



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白圭曰、丹之治水也、愈於禹、孟子曰、子過矣、禹之治水、水之道也、是故禹以四海爲壑、今吾子以鄰國爲壑、水逆行、謂之洚水、洚水者洪水也、仁人之所惡也、吾子過矣。

白圭が言った、
「この丹(白圭の名。つまりここではへりくだっている)の治水は、いにしえの禹の治水よりも優れていると自負しております。」
孟子は言った、
「あなたは、まちがっている。禹の治水は、水を自然に導いた工事であった。だから四方の海を谷とみなして、そこに水を流したのだ。しかし今あなたは隣国を谷とみなして、そこに水を流している。水の流れは逆行している。これを古語で『洚水』(こうずい。コウは「さんずい+"降"の右側)と言った。現代語の『洪水』のことだ。これは仁の人の憎むところである。あなたは、まちがっている。」

滕文公章句下、六も参照。

『史記』河渠書には、先秦時代に秦、魏、斉、楚、呉らの各国が行なった治水灌漑工事が列挙されている。この白圭がどの国の政治家だったかはよくわからないが、孟子がこのように言う以上は、川の下流にある斉などの人ではないだろう。他書に出てくる「白圭」がいずれも魏の人であるから、この白圭もまた魏の人であろうか。魏は黄河中流を支配する国で、この辺りでは後の漢代において文帝時代に酸棗(さんそう)・金堤(きんてい)の決壊が、武帝時代に瓠子(こし)の決壊があったと記録されている。黄河における治水の急所を版図としていた魏は、治水事業に高度の配慮を行ない、多くの技術者を抱えていたに違いなかろう。くだんの河渠書には、戦国初期に西門豹(せいもんひょう)が行なった灌漑事業などいくつかの土木事業が記載されている。

治水灌漑事業は富国強兵のために必須の政策であった。しかしそのために、上流での工事が下流に害を及ぼすこともあったであろう。中国ではそのために戦争が続いたと言えなくもない。結局戦国時代を制したのは、河川の上流に位置して他国の治水灌漑事業によって被害を受ける心配のない秦であった。秦は都江堰(とこうえん。四川省)や鄭国渠(ていこくきょ。陝西省)の灌漑工事を行なって、広大な農地を得たのである。その遺産が、旧秦の故地を抑えた劉邦の天下取りの原動力となった。河渠書には、武帝時代の治水灌漑工事が多く記録されていて、農地拡大に王朝が大変熱心であったことが窺がえる。国内の統一が成ったことによって、古代の中華世界は一大土木ブームとなったのであった。見方によっては、華北の農業開発は漢代にほぼ完成し、それ以降大きく伸びることはなかったとも言える。秦漢帝国を支えた関中盆地は、唐代後期以降になると衰退してもはや全国政権を支えるに足る土地ではなくなってしまう。



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