思想信条の本質は、上のような極限状況を想定したときにどのように行動すべきかを問うことによって明らかとなる。本章は儒教倫理とは何であるかを最も鮮明に示したくだりであると言えるだろう。
法家によって偉大な先達として崇められる商鞅(しょうおう)は、秦の孝公の信任を受けて国に変法を公布した。あるとき太子が罪を犯した。商鞅は「法が行なわれないのは、上の者が法を犯すからである」として太子を法に照らして処罰しようとした。しかし太子は国の後継者であるので直接刑を適用することはできない。そこで傅(ふ。守り役)の公子虔(こうしけん)を処罰し、その師の公孫賈(こうそんか)を黥(げい。入墨刑)に処した。その翌日から、秦の民はことごとく法令に従うようになったという。たちまちにして秦は富強となり、当時戦国最強と言われていた魏の首都を包囲してこれを破った。後に再び公子虔が罪を犯したときには、彼を容赦なく劓(ぎ。鼻削ぎ刑。「鼻+りっとう」)にも処したのである(『史記』商君列伝より)。このように、商鞅が君主の最大の近親である太子に厳しく法を適用したことが、法への信頼を一挙に高めたと言うのである。
国法の前には君主の親族ですら容赦するべきではないという主張は、しばしば肯定的な意味合いで行なわれる。宋代の包拯(ほうしょう。「包青天」と称される。1000 - 63)は弱きを助け強きを挫く公正な官僚として後世『三侠五義』など多くのドラマに脚色されているが、彼が皇室の外戚の勢力にも屈服することなく、皇帝の寵姫の親族にすらも弾劾の手をゆるめなかったことが、美談として特筆されている。また西洋のローマでは(必ずしも美談として評価されているわけではないが、)共和制時代に東から襲撃する強敵アエクイ族との戦闘(BC431)において、ディクタトル(独裁官)に選ばれたポストゥミウス・トゥベルトゥス Aulus Postumius Tubertus は重装歩兵の戦列から抜け駆けをして戦った息子を、戦後に斬首刑に処したという。重装歩兵は密集して敵陣に突撃し、第一列の兵が倒れればすぐに後ろの第二列の兵が前に出て集団戦を続けるという、何よりも集団の規律が求められる戦法であった。ゆえに、独裁官は息子の勇敢さを称えるよりも、集団の法を破った罪を罰したのである。
本章の孟子の主張は、そのような「人の上に立つ者の個人的な情で、国の法を枉げるな」という主張を100%否定するものではない。舜は君主として、国法を枉げることは許されない。しかしこのままでは父親が処刑されるであろう。ならば、共に犯罪者となっても父親を背負って逃げるのが倫理的正義だと言うのだ。これは儒教倫理から導き出された、極めて論理的な帰結である。人の上に立つからといって、いや人の上に立つような聖人だからこそ、親とは愛情を持って親しむという最も大事な人間倫理をゆるがせにしない。「大義親を滅す」などと言って親族を処刑して、しかもそのまま君主として座りつづけるなどは、いわば人非人のケダモノが人の上に立っているということになるだろう。ケダモノだから天下のためを思う仁の心などあるはずがなく、自分のことだけを考えて家臣や人民をいじめて知らん振りを決め込むに違いない。そのような者が人の上に立ってはいけないと儒教は固く主張するから、本章のような孟子の結論が出るのである。
孟子の主張に違和感を覚える人は非常に多いだろう。私も実を言うとかなり引っかかる。しかし、なぜ引っかかるのであろうか。「親は自業自得なのだから、放っとけばいいじゃないか!」というのが個人主義からの見解であろう。しかし我々がそう思ったとしても、舜自身はそのように無情に割り切ることなく退位を決意したとする。だがその時においても、何か「残念だ」という損失感を感じてしまわないだろうか。舜のような極めて有能な君主が、父の罪のために(しかも舜の父、瞽ソウは極めてつまらない愚者である)あたら退位してしまう。それは、何か非常に勿体無いような気がする。その底にはおそらく、家族・親族などを超えたもっと大きなものへの大義が優先されるのではないかという感覚があるに違いない。上に述べたローマのポストゥミウス・トゥベルトゥスのエピソードならば、それははっきりしている。ローマという共同体の防衛は、個人的な情よりも貴いという考えが独裁官にはあったのである。源頼朝が実弟の義経を追い詰めて殺したことや、北条政子が実父の時政や実子の源頼家を押し込めて引退させたことは、幕府の秩序を守ることを親族への情よりも優先させた例であろう。そのような感覚が下敷きにあって、「大義親を滅す」の倫理は正当化されるのであろう。
しかし、孟子の儒教は、そのような大きな何ものかのために、等身大の周囲の他人への情愛を殺すことを許さないのである。それは、国家共同体などというものが形作られなかった古代中華世界においては、より大きな何ものかへの献身が倫理として結晶化されにくかったという事情が背景にあったともいえるだろう。孟子は、周囲の他人への情愛を他の理由によって少しでも軽視することは、即座に利己主義への道を開くと考えた。だから、利益を説いて君主に戦争をやめさせようとした宋牼(そうけい。ケイはうしへん+「輕」の右側)を孟子は批判したのである(告子章句下、四)。墨家の利他的な志は確かに偉大であるが、献身するべき共同体がはっきり意識されない社会においては、その思想は地に足がしっかり付きにくかったであろう。
一方、一神教においては、「親を滅す」大義ははっきりと定められている。いうまでもなく、天の父なる神である。
アブラハムは、神の約束通りに正妻のサラとの間にようやくイサクを授かった。しかし神は、アブラハムの前に現れて、神が指定した山に行ってそのイサクをいけにえとして捧げよと命令した。アブラハムはイサクを連れて、神が指定した山に向った。そして神の言いつけどおりに、イサクを祭壇の薪の上に縛って載せて、殺すために刃物を振り上げた。その時再び神が降臨して、こういったのである。
わらべを手にかけてはならない。また何も彼にしてはならない。あなたの子、あなたのひとり子をさえ、わたしのために惜しまないので、あなたが神を恐れる者であることをわたしは今知った。
(『創世記』より)
これこそ、本章の舜の例のように、その極端なケースによって倫理の本質を鋭く照らしたもう一つの例である。親族よりも、権力よりも、いっさいの地上の論理よりも大切なものがある。それが、神への服従である。人間はことごとく神の言葉に服従しなくてはならない。神が親族を殺せと命じたならば、理由もなく殺さなくてはならないのだ。アブラハムとイサクのエピソードもまた、舜と瞽ソウのそれのように、極端で異様である。アブラハムにとって全てに優先されるのは、神の言葉。舜にとって全てに優先されるのは、親への情愛。両者共に妥協は無い。二つのケースは極限状況を示すことによって、信じる者たちに正しいこととは何かを示しているのである。両者は共に利己主義を否定するための倫理である。そしてそれに加えて、絶対的な規準を開示することによって、人間に国家とか企業とか世間とかの地上のもろもろの事情を相対化する視点を与える可能性をも開くだろう。両者共に、(各人がどう受け止めるかは別として、)まさしく「倫理」である。
(2006.03.24)