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萬章章句下





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萬章曰、敢問不見諸侯、何義也、孟子曰、在國曰市井之臣、在野曰草莽之臣、皆謂庶人、庶人不傳質爲臣、不敢見於諸侯、禮也、萬章曰、庶人召之役、則往役、君慾見之召之、則不往見之、何也、曰、往役、義也、往見、不義也、且君之欲見之也、何爲也哉、曰、爲其多聞也、爲其賢也、曰、爲其多聞也、則天子不召師、而況諸侯乎、爲其賢也、則吾未聞欲見賢而召之也、繆公亟見於子思、曰古千乘之國以友士、何如、子思不悦、曰古之人有言、曰事之云乎、豈曰友之云乎、子思之不悦也、豈不曰以位則子君也、吾臣也、何敢與君友也、以徳、則子事我者也、奚可以與我友、千乘之君、求與之友而不可得也、而況可召與、齊景公田、招虞人以旌、不至、將殺之、志士不忘在溝壑、勇士不忘喪其元、孔子奚取焉哉、取非招不往也、曰、敢問、招虞人何以、曰、以度冠、庶人以旃、士以旂、大夫以旌、以大夫之招招虞人、虞人死不敢往、以士之招招庶人、庶人豈敢往哉、況乎以不賢人之招招賢人乎、欲見賢人而不以其道、猶欲其入而閉之門也、夫義路也、禮門也、惟君子能由是路、出入是門也、詩云、周道如底、其直如矢、君子所履、小人所觀、萬章曰、孔子君命召、不候駕而往、然則孔子非與、曰、孔子當仕有官職、而以其官召之也。

萬章が言った、
萬章「あえて質問します。先生はどうして諸侯に会見なさらないのですか?」
孟子「国都にいて仕えない者を、市井の臣という。田舎(在野)にいて仕えない者を、草莽の臣という。これらは皆庶人(しょじん。無位無官の者)ともいう。庶人は伝質(でんち。仕官したいときに朝廷に出す付け届け)を贈って家臣とならない限りあえて諸侯に会見しない。これは礼なのだ。」
萬章「ですが、庶人は労役のための召集命令が出れば、行って働くものです。なのに君主が会見しようと思って出頭命令を出しても行って会見しなくてもよいのは、どうしてなのですか?」
孟子「行って労役を提供するのは臣民の正統な義務だ。だが、行って会見するのは正統な義務から外れている行為だ。それに考えてみよ、君主が人を召して会見したいと思う動機は何だ?」
萬章「君主はその者の知識を買い、賢明さを買っているからです。」
孟子「知識を買っているから。それならば、天子ですら自らの師を呼びつけにしない。ましてや諸侯が呼びつけてよいものか。賢明さを買っているから。それならば、余はいまだかって賢者に会見しようとして呼び出した先例など聞いたことがない。こんな話がある。

昔、魯の繆公は子思とたびたび会見した。その上で繆公は言った。
「いにしえには、戦車千台を抱える国の君主が一介の士を友人としたことがあったとか。これをどう思われます?」(つまり、私はなかなかのものでしょう、と言いたかった)
子思は機嫌を悪くして、こう返した。
「いにしえの人はこう言いました。『この人に仕えている、と言え。だがこの人と友人になっている、などとどうして言えるのか』と。」

子思が機嫌を悪くした理由は、思うに「身分から言えば、あなたは君主で私は家臣です。何であえてあなたと友人となりたいと思いましょう。だが人徳から言えば、あなたは私の弟子です。何で私と友人であることができましょう」と言いたかったのではあるまいか。戦車千台を抱える君主ですら、子思のような君子と友人関係になろうとしてできなかった。いわんや呼びつけにすることなどできようか。

斉の景公が狩猟を行ったときのことだ。虞人(ぐじん。御苑の管理係)を旌(せい。鳥の羽で飾った旗)で呼びつけようとしたが、虞人は来なかった。それで、公はこの虞人をもう少しで誅殺するところであった。(これについて孔子は評した、)『志士たるものいつでも屍が溝や谷に捨てられることは覚悟しているし、勇士たるもの自分の首を喪うことは覚悟している』と。ここで、孔子は虞人の何について評価しているのであろうか?それは、正しい召集の合図でなければ動こうとしなかったことを評価しているのだ(孔子はおそらく虞人の実直さを評価したのだろうが、孟子はおそらく君主の勝手を越えたルールに従ったというニュアンスでこの話を持ち出したのではないか)。」
萬章「あえて質問します。虞人を呼びつけるには、どうするのが正しかったのですか?」
孟子「皮冠(ひかん。皮製の冠)をしるしとして使うのが正しい。庶人を呼びつけるには、旃(せん。赤旗)を使う。士すなわち一般家臣は旂(き。漢字の「旗」の字から「其」を取って「斤」に入れ替えた字。龍の絵が描かれた旗)を使う。大夫すなわち上級家臣はさきほどの旌を使うのだ。大夫を呼びつけるための旌で虞人を呼びつけようとしても、虞人は死んでも行こうとはしないのだ。これと同じことだ。士を呼びつける礼儀で庶人を呼びつけようとしても、余のような庶人がなぜ行かなくてはならない。いわんや不賢人を呼びつける礼儀で、賢人を呼びつけようとしている。賢人と会見しようとして正しい礼儀を用いないのは、自分の家に入れようとして門を閉めるのと同じだ。そもそも義は道筋、つまり通らなければならない社会正義であり、礼は門、つまり他人と交際するための出入口なのだ。君子だけが、この道筋を通り、この門から出入りできる。詩経に言う、

ああ、周の道は砥石のように平らで、
そのまっすぐなことは、矢のようであった
かつて、君子はここを通った
かつて、衆生はここを仰ぎ見た
(小雅『大東』より。)

わかったかな?」
萬章「あの、、、論語には『孔子は、君主が呼びつける命を出したときは、車など待たずにすぐ駆けつけた』(郷党篇)とあります。してみると、このようになりふりかまわず呼びつけに応じた孔子は、まちがっているということなのでしょうか、、、」
孟子「孔子は仕えたときに官職があって、それに応じた職務があった。その職務上の事項で呼びつけられたからだ。(これは仕事だからしかたがない。余の言っているのは、職務以前の君臣の関係だ。)」

★故事成句★
「草莽(そうもう)の臣」(草むらの中に埋もれている臣。在野の人材。)

離婁章句、及び萬章章句で述べられてきたことが、本章で集約されている。すなわち、「そもそも義は道筋、つまり通らなければならない社会正義であり、礼は門、つまり他人と交際するための出入口なのだ。君子だけが、この道筋を通り、この門から出入りできる。」(夫レ義ハ路ナリ、禮ハ門ナリ、惟ダ君子ノミガ能ク是ノ路ニ由リ、是ノ門ヲ出テ入ルベシ)

儒教は、他人との関係において必ず「礼」に従うべきだと教える。自らの行動を「礼」に従えることによって、自分と他人との交流が社会的に認められた形として実現できる。それをしない者は、孟子の言葉で言えば「自分の家に入れようとして門を閉めるのと同じ」なのだ。つまり、手前味噌の勝手な接し方で他人と意思を通じ合えるという思い込みに対して、儒教はそれがとんでもない間違いであると指摘するのである。古代中国に生きた孟子は、古代中国社会で醸成されてきた「礼」をいにしえの道として推奨する。しかしながら、別の社会においては別の「礼」が必ずあるだろう。社会が良しとする「礼」の形式は時と所によって移り変わるであろうが、他人と意思疎通を上手に行ない、協同して何ごとかを行なうためには、どんな社会においても人間が何らかの「形」を取ることが必要なのではないだろうか。儒教は、それを強調しているのである。

だから、孟子は子思の例を出して、君主と一介の士がそう簡単に友人になれるはずがないと指摘する。君臣の関係を規定する倫理は、「義」として捉えられる。君臣とは、本来が家族や友人とは違う疎遠な間柄なのだ。本章句下、四の分類をここで再出すれば、士が君主に仕えている理由は三つ。すなわち、一つは天下に道を行なうために仕えている「見て行なうべし」の仕え。二つは、君主の手厚い礼儀に応えて礼儀返しで仕えている「際あり」の仕え。三つは、君主が職をオファーしてくれたから、生活のために仕えている「公に養う」の仕え。この三つとも、君主とは一定の距離を持った関係である。前の章でも見たように、子思は魯公に礼儀をもって応対している。しかしそれは、「礼」に従って目上の存在に敬意を表しているからそうしているのであって、それで君主が目下の者に対して気安い関係にあると思ってもらうのは困るのだ。

子思の態度からは、何だか「慇懃無礼」という言葉が思い浮かんでしまう。しかしながらあえて弁護すれば、社会的なつきあいで丁寧に応対しているのを、勝手に気安い関係だと思い込んでなれなれしくする輩が、この世には何と多いことか。「共に働く以上は礼儀に従うのが人の道である。しかしながら、つきあいの礼儀と本当に親しい仲とを混同してはならない」という大人の態度を儒教は教えるのである。孟子に言わせれば、君主と家臣が本当に友人になりたかったら、それこそ本章句下、三の堯と舜との関係に倣うより他はないだろう。仕事上の関係が友人となるのは、こんなにも難しいと言うのである。礼で厳しく人間関係を律する儒教だから、疎遠な他人と共感して友人となるのは容易でないのだ。「全ての人間に愛を与えるべきだ」と考える墨子が儒教に反発したのはよくわかる。

離婁章句で詳しく見たように、儒教は、親しくあるべき他人と疎遠な他人とに対する情愛の程度を明確に区別する。そしてその関係を「礼」によって制御しようとする。だから、疎遠な間柄との関係は、どうしても「礼」だけあって情を加えないことをよしとせざるをえなくなるだろう。それは「みんな仲良し」といった子供っぽい幻想を捨てた、大人の付き合い方と言うべきであろうか。それとも、心休まる相手を持たない、孤独な君子の道と言うべきであろうか。


(2006.02.14)



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