盡心章句上
十二
孟子曰、以佚道使民、雖勞不怨、以生道殺民、雖死不怨殺者。
孟子は言う。
「人民の福祉のためにあえて人民を使役するならば、苦労させても怨まれはしないだろう。人民の生存を守るためにあえて死を命じるならば、殺してもその執行者は怨まれないだろう。」
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これも有名な格言。後半の「生道ヲ以テ民ヲ殺サバ、死ストイエドモ殺ス者ヲ怨ミズ」については、吉田松蔭は「国家防衛のためにあえて人民を死の戦いに赴かせる」ことと解釈しているようだ。幕末らしい。しかし、「法の秩序を守るために、違反者は死刑に処すこともある」ことだと解釈するのが穏当であると思われる。
この格言のような統治者と被統治者の信頼関係が出来上がれば理想なのであるが、現実はなかなかそうもいかない。
昔、禹は長江の河岸を開いたり黄河の底を浚ったりしたが、人民は彼に瓦や石を投げつけて妨害した。鄭の子産は田畑を開墾して桑を植えたが、鄭の国人は彼を中傷してののしった。禹は天下を利し、子産は鄭国を富ませたのに、両者ともののしられたのである。
(『韓非子』顕学篇)
韓非はこう嘆いて、人民の智など信頼するに値しない、賢者のなす事業は人民にはどうせ分かりはしないのだと説く。だから、明主は百官人民の言うことなど一切聞かず、ごぼう抜きで有為の士を用いて働かせ、法を敷いて下の者が事業に抵抗する術を奪えと主張するのである。それは一面の真理であるが、だが何かが足りない。
諸葛孔明も同僚から法の適用に厳しすぎると非難されたことがあった。清の雍正帝は部下の官僚から、酷薄で法家的だと批判された。しかし諸葛孔明は後世に高く評価され、一方雍正帝の評判はよろしくない。雍正帝やその歴史的先達者とも言える秦の始皇帝、宋の王安石や明の張居正などはいずれも大変なやり手であったが、生前も後世も悪評を受けてしかも死後にその事業の多くが覆されてしまった。孔明は主君の劉備が仁君のイメージを作ってくれたので、そのイメージに包まれてプラスに評価されることができたと言えようか。慈愛あるリーダーのイメージを全面に出しながら、背後に厳格なマネージメントを行なうのスタッフを揃えること。この両者の要素を揃えることが、仁君への期待を根強く底に持っている北東アジア社会において、後世までも持続させられる事業に成功する統治の条件なのかもしれない。
(2006.03.14)