盡心章句上
三十
孟子曰、堯・舜性之也、湯・武身之也、五覇假之也、久假而不歸、惡知其非有也。
「堯と舜は、『これ』を本性のままに行なった。湯王・武王は、『これ』を努力して身に付けた。五覇は、『これ』を仮に用いた。五覇たちはずっと仮に用いて手放さなかったので、とうとう彼らが本当は持っていなかったことに気付かずじまいであった。」
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『これ』とは、当然のことながら仁義の徳のことである。春秋の五覇については、告子章句下、七を参照。ただし儒家がこうまで五覇を貶めるのは、その一面の理由として五覇の代表格の斉の桓公・晋の文公の功績を過小評価して、彼らの国を乗っ取った宣王の斉(田斉)や恵王の魏に対して新時代にふさわしいユートピア像を開示する狙いもあったのではなかろうか。戦国時代の各国が新時代のイデオロギーとしていにしえの黄金時代の再現を求めたことが、戦国時代の諸子百家たちがしきりに聖王の功績にかこつけて自説を展開しようとした傾向に顕著に出ているのではないだろうか。
(2006.03.21)