盡心章句上
二十九
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孟子曰、有爲者辟若掘井、堀井九軔而不及泉、猶爲棄井也。
孟子は言う、
「何かをなすということは、たとえるならば井戸を掘るようなものだ。九仞(約14.2m)まで掘り下げても泉に及ばないならば、それはすなわち井戸掘りを放棄したことである。」
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物事は中途で放棄するな、という古今東西数多く言われた格言の、これもまた一つである。ついでに孔子の言葉も掲げておこう。
譬如爲山、未成一簣、止吾止也、譬如平地、雖覆一簣、進吾往也。
山を作ることにたとえてみよう。自分が簣(もっこ。土を運ぶためのムシロで作ったかご)を一担ぎ分だけ積み上げなかったために完成しなかったとする。それでも、しなかったことに自分の責任がある。地を平らにすることにたとえてみよう。自分は簣を一担ぎ分投げ入れただけだったとする。それでも、作業が進んだことに自分の功績はあるのだ。
(『論語』子罕篇)
(2006.03.21)