盡心章句上
三十四
孟子曰、仲子不義與之齊國而弗受、人皆信之、是舎箪食豆羹之義也、人莫大焉亡親戚君臣上下、以其小者、信甚大者、奚可哉。
孟子は言う。
「陳仲子(ちんちゅうし。滕文公章句下、十参照)は不義であれば斉国を与えられても受けないほどの人物であるから、世間の人はみな彼を信頼している。しかしながら、彼の節義などは、いわば箪(たん。竹の箱)の飯や豆(とう。台付きの汁椀)のスープを受け取らない程度の小事に過ぎない。人たるものは、親戚・君臣・上下の秩序を無視するより大きな不義はないのである。(そのような秩序を守ろうとしない)彼の小さな節義をもって、彼の大きな節義を信じることなどどうしてできようか?」
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陳仲子についての批判が、もう一度再現されている。彼は『荀子』非十二子篇でも学派の一人として取り上げられているから、思想界に一定の影響を与えた人物であったようだ。『孟子』や『荀子』の中の叙述だけではその思想の全貌は知りがたいが、孟子が一定の評価を与えながらも社会関係を軽視することを批判しているところから見て、道家思想とは一線を画していたのではないだろうか。
節義を保とうとしながら社会関係を忌まわしいものとして避けようとする姿勢は、儒家の倫理的態度と紙一重である。いや人によってはほとんど一緒であると言ったほうがよいかもしれない。孟子もまた、「天下に正しい道が行なわれていない時代ならば、ひとり正しい道を己の身にしっかり備え付けて一歩引いて生きるべきである」と言うのだから(本章句上、四十二)。心で正しい道を選択しようと願いながら、外界の世界がデタラメなので世間から身を引く姿勢は、まさしく孟子が聖人認定する伯夷の道ではないか。儒家は「正しい道」ならばいつでも進む用意があるが、陳仲子はひたすら社会関係から逃げようとする、その違いでしかない。プラスに解釈すれば、陳仲子は外界に対してもはや斜に構えたイロニーに陥っているが、儒家はまだ正道への信仰を持っているといえようか。しかし儒家は、積極的に自分から外界をぶち壊してでも改革しようとはしない。その結果として、秦末漢初時代に傲然と世間から孤立して明主を待ち続けた劉邦旗下の儒者、酈生(れきせい。レキは「麗+おおざと」)の心境ができあがるのである。孟子自身は、何のかんのと言いながら陽性に世渡りをしおおせた生涯を送れたようであるが。
(2006.03.23)