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離婁章句下






孟子曰、舜生於諸馮、遷於負夏、卒於鳴條、東夷之人也、文王生於岐周、卒於畢郢、西夷之人也、地之相去也、千有餘里、世之相後也、千有餘歳、得志行乎中國、若合符節、先聖後聖其揆一也。

孟子は言う、
「舜は諸馮(しょひょう。山東省)に生まれ、負夏(ふか。河南省)に住居を移して、鳴条(めいじょう。山西省?)で亡くなった。彼は東夷の人であった。文王は岐周(きしゅう。陝西省)に生まれ、畢郢(ひつえい。陝西省)で亡くなった。彼は西夷の人であった。両者の生地は千里(約400km)以上も離れており、両者の生年は千年以上も離れていた。だが志を持って中国でなした行跡を見ると、割符を合わせるように先世の聖人と後世の聖人との道は一致している。」

新年明けまして、おめでたい一年にしたいものでございます。(一年が明けること自体でおめでたくなるかのような考えは捨て去りたいと、個人的には思っております。)

さて、本題であるが、本章から離婁章句下となる。章句上と同様に、コメントは重要と思う章だけにしたい。

本章は、聖人の道というものは時代や地域・種族を越えた普遍性があると主張するものである。本章句上、開始の章が「いにしえの王の掟に従って誤る者は、いまだかってない」という普遍性を主張しているのと、照応している。聖人の道は、人間が取るべき唯一の道であるという、孟子の時代の中華世界の確信をここで改めて述べているわけである。

福澤諭吉が一笑に付す、中華文明の普遍性である。福澤にとっては、中国は日本やトルコなどと同じ「半開の国」にすぎず、最上の文明国とはヨーロッパ諸国とアメリカ合衆国のことだというのが、「世界の通論」だと批評する。福澤の語る文明とは、

天地間の事物を規則の内に籠絡(ろうらく。からめとる)すれども、その内にありて自ら活動を逞しうし、人の気風活発にして旧慣に惑溺せず、身躬(みず)からその身を支配して他の恩威に依頼せず、躬から徳を脩め躬から智を研き、古を慕わず今を足れりとせず、小安に安んぜずして未来の大成を謀り、進(すすみ)て退かず達して止まらず、学問の道は虚ならずして発明の基を開き、工商の業は日に盛にして幸福の源を深くし、人智は既に今日に用いてその幾分を余し、以って後日の謀(はかりごと)を為すものの如し。これを今の文明という。野蛮半開の有様を去ること遠しというべし。
(『文明論之概略』より)

つまり、ひたすらいにしえの聖人の基準にとらわれて進歩しようとしない中華文明と、それを支える儒教はしょせん半開の文明が持つべきものにすぎない。そのような硬直化した半開文明を智徳の向上により活性化させることこそが、今の東洋社会にとってなすべき課題なのだ。

この書が発表されたのは明治八年(1975年)。福澤はジョン・スチュアート・ミル(1806 - 73)の著作を相当研究したようで、ミルの高らかな進歩的文明史観と福澤の主張はよく相呼応している(ミルの『自由論』『代議制統治論』やルソーの『社会契約論』は、明治十年代には自由民権論者たちの必読本と言えるほど広く読まれるようになった)。またミルはベンサムや父ジェームズ・ミルの流れの下流に立つ功利主義の立場の論者で、人間の合理性を強く信じている。それゆえ保守主義者と違って慣習や伝統に対する評価が非常に低いが、福澤もまたそうである。19世紀後半の欧米、特にイギリスは、輝くばかりの進歩を年々成し遂げる知徳の上昇が止まることなき社会に見えたに違いない。福澤が『文明論』を書いたときよりずっと後の明治三十三年(1900年)にイギリス留学をした夏目漱石ですら、イギリスの国力の強さにはいまだ驚嘆していた。その強力で永続的な力の源泉が、各人の自由と進取の精神にあると見抜いて日本人を奮起させようとしたのが、明治初年度の福澤であった。その当時の日本には、これしか薦めるべき道はなかったのだ。そして結局日本人には十分に活力があったから、福澤の薦めをよく理解することができた。

福澤も認めるように、中華世界もまた紀元前の時代は立派な文明国であった。戦国時代は諸侯の間の競争があり、思想の間の競争があったから精神の昂揚が見られた。当時の中華世界は地域や種族などを越えて人も思想も交流する実験場であり、それゆえ孟子のように「普遍的人間性とは何か」を激しく論争した時代であったのだ。聖人の舜も文王も蛮族の出身である。しかし、志を持って中華世界に参入して成功した。中華世界にとって大事なのは普遍的な道を通っているかどうかであり、出自は関係ないとされたのである。

ずっと後世、清朝末期に満州族の皇帝は是か非かという論議が沸き起こった。章炳麟(1868 - 1936)は康有為(1858 - 1927)の清朝護持論に反論して、「漢族は蛮族の満州人に、これまで支配され虐げられてきた仇を討たなければならない」と叫んだ。漢族ナショナリズムである。ナショナリズムは二十世紀を支配する大きな流れであった。しかし、本来の中華世界は、種族など関係なかったはずなのだ。つまり、中華世界はもはや孟子の時代に確信をもって唱えられたような普遍的な世界ではなくなってしまっていた。

だが福澤の『文明論』に大きな影響を与えたであろうミルの『自由論』(原題" On Liberty",1859)では、やがてヨーロッパ世界が「すべての人を一様にする中国の理想」に行き着いてしまうであろうと警告している。なぜならば、多様性 diversity が次第に社会から失われて人間が画一化されていくからである。社会から多様性が失われれば、社会の多様な試みも失われる。そうなれば自由の利点はなくなってしまい、進歩の基礎もまた失われるだろうという。「人間は、しばらく多様性を見慣れないでいると、たちまちそれを考えることさえできなくなってしまうものなのである。」(第三章より。早坂忠訳)

ここで、ミルは個人の力では作りあげることができない多様性が自由と進歩を結びつけるという点に気付いたようである。そして合理主義であるゆえに、ミルは多様性が失われる傾向について何の処方箋も提出することができない。多様性とは、要は伝統や慣習とかの人間が背負っている不合理なバックグラウンドであり、もっと言えば因習や迷信として言われるものですら含まれるのかもしれない。文明というものは、ある時期においては伝統や慣習から来る多様性と進取の精神による合理性とが調和して進歩をもたらし、また別の時期になると両者のバランスが崩れてしまって個性もなくなり協働性も失われて停滞するものなのであろうか。ミルの生きた十九世紀に比べて、現在のヨーロッパは多様性を増したであろうか。ヨーロッパで容赦なく進行しているあのアメリカナイゼーションは、文明の多様性にとって果たしてプラスなのであろうか。

おそらくこれからの時代の多様性は、一国モデルでは達成できないだろう。世界は新たな文明のわく組みに、時間をかけて切り替わって行くのかもしれない。同一の文化を背景に持つ民族国家としては世界でも突出して大きな国である日本は、二十世紀にユニークな文化力と高度な工業力、そして適正な市場規模を擁して未曾有の繁栄を見せた。それはおそらく、鎌倉時代以降の一千年間で培った民族に共通する文化の熟成醗酵があったことと、多くの山河と海によって隔てられた小地域ごとに発展した精妙な多様性とが、明治維新による国家統一を経た後に化学反応を起こした結果ではなかっただろうか。

だが、かつて欧州で繁栄のトップを切ったオランダは、よりスケールの大きな国民国家である英仏独に敗れて衰え、その英仏独もさらにキングサイズの超大国アメリカとロシアに押されてしまった歴史を見よ。二十世紀において適正な規模であった国家が、このままでは二十一世紀に時代遅れの小国に転落する可能性は、十分にありえないだろうか?大文明圏のEU、大陸自体が世界の縮図であるアメリカ、世界中にネットワークを持つ華人世界、習俗を越えて拡がるイスラム、、、日本の規模と多様性は、これらに比べてあまりに小さすぎはしないかと、私はひそかに思うのである。多くの人は気付いていないが、残念ながら、日本一国を眺めたとき、その多様性はいま急速に、しなびて衰えているように見える。それは、文明の行き着く先なのであろうか。


《次回は離婁章句下、二

(2006.01.03)




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