離婁章句下
二十二
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孟子曰、王者之迹熄而詩亡、詩亡然後春秋作、晉之乘、楚之檮杌、魯之春秋、一也、其事則齊桓晉文、其文則史、孔子曰、其義則丘竊取之矣。
孟子は言う。
「周王の諸国巡狩(じゅんしゅ)の跡が消えてしまい、周王が各地で詩を採集する事業もまた亡んでしまった。詩が亡んだ後に、歴史書『春秋』が作られた。晋国の歴史書『乗』(じょう)、楚国の歴史書『檮杌』(とうこつ。コツは「きへん+兀」)、そして魯国の歴史書『春秋』。これら三つの歴史書は、全て内容は同じである。『春秋』には、斉の桓公や晋の文公の事跡が書かれている。その文章の原資料は、もともと魯の史官の手に成ったものであった。そして孔子はこう言った。
その文意は、この丘(きゅう。孔子の名)がひそかに取捨選択したことによって塗り込めてある。
と。
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以前にも述べたが、『春秋』はどうやら戦国時代に斉国で作られた予言的歴史書であるようだ。するとこの章もまた、かなり後の時代に孟子学派が孟子に仮託して書いたものなのではないだろうか。この章の原型は、斉国と儒家が共謀して捏造した、『春秋』宣伝のための伝説なのかもしれない。