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「見られる」倫理



明末清初の大儒学者で、儒教テキストの実証的解釈を重んずる考証学を切り開いた顧炎武(こえんぶ、1613 - 82)。その竹馬の友で詩人の帰荘(きそう、1613 - 73)。考証学的立場に立つが顧炎武を罵倒した、『孟子』の注釈も残す博学の人の毛奇齢(もうきれい、1623 - 1716)。三田村泰助氏は、これらの時代の変わり目に生きた「士大夫」と呼ばれる知識人たちのエピソードを紹介している(世界の歴史『明と清』、河出書房新社)。それを読むと、一方でそれぞれ清に抗い、清軍から逃げ、清に投降せず民間人として生き、あるいは清朝が固まった時点で仕官するなど心に応じた自在の進退を行なう儒教の徒の生き様がよく表れている。だが一方で彼らの生活態度には現代人から見て首をかしげる部分がある。顧炎武は、商人に姿をかえて逃げていた自分を密告しようとした家僕をリンチにかけて殺したという。また、彼は故郷に妻を残したまま三十年の流浪の旅に出て歴史地理の実地調査を行なったのだが、その旅の先々に妾を置いていたという。三田村氏は、「これを中国的独身主義という」と書いておられる。妻が死んだときも彼は異郷にいて、はなむけの詩を一篇故郷に送っただけだった。顧炎武の竹馬の友の帰荘は日夜妻を鞭で打って家には流血が絶えず、あげくのはてには妻も子供を家からたたき出して、孤独な晩年を送ったという。顧炎武のライバルの毛奇齢もまた妻がいるのに自作の端唄を妓女に歌わせて悦に入る色の道の達人であった。彼と嫉妬深い妻との闘いは壮絶なものだったという。毛奇齢は議論に勝てないときには暴力までふるったといわれるほど、学問に人生を激しくかけた学者であった。

いずれも学問に全てを賭け、そしてそうして生きることが当然であると考える士大夫の痛烈なプライドが透けて見える。家僕も妻子も学問にとってはおまけにすぎない。捨てて顧みないどころか、暴力をふるっても殺しても平気なのである。『孟子』のテキストからは、孟子の王にも頭を下げないエリート魂が立ち昇っている。「身内への心を家の外までも及ぼす」(梁恵王章句上、七)のが儒教の倫理であるはずなのだが、どうも中国の士大夫たちは現代人的な「家庭へのサーヴィスを優先するのが家長のつとめ」流の発想とは無縁なようだ。士大夫は世に一人立つ戦士であって、家族や家僕などはかしずいて従うのが当然、彼らにたまには恩恵を施してやるのが仁の心である。だがそのようなつまらない気づかいによって、天下のためとなる学問の道を究めることに支障があってはならない。孝・悌・忠・別・信という儒教の実践道徳は、士大夫のエリート精神にまことによく適合している。これで妻子家僕を鋳型にはめこむことによって、士大夫は気づかいなく自在の進退ができる。(少なくとも建前はそのはずだ。現実には怕太太(パータイタイ、怖い奥さん)に凡百の夫どもはどうやら震え上がっていたようであるが。)

このような一方的なプライドを許す社会の空気が、日本人にはなかなかわかりづらいのだろう。『徒然草』に高僧明恵(みょうえ、1173 - 1232)のこんなエピソードが載せられている、

栂尾の明恵上人がとある道を通り過ぎたときのことだ。川で馬を洗っている男がいて、「あし、あし」(足、足)と言っていたので、上人は立ち止まって「ああ尊いことだ!宿執開発(前世の善行が巡って現世で現れること)の人ではないか。『阿字、阿字』(あじ。梵字の最初の字。仏教哲学で特殊な意義を持つ)と唱えている。どなたのお馬であろうか?あまりにも尊く感じてならぬ」と尋ねられた。男は答えて、「府生殿(ふしょうどの。役職名)のお馬でございます」と答えた。上人は、「これはめでたいではないか!阿字本不生(あじほんぶしょう。仏教哲学のキーワード)となるではないか。嬉しい縁を持った、、、」と言って、感涙をぬぐわれたとか。
(第一四四段)

明恵上人は公家から武家まで当時の上流階層に広い帰依者を持った、かくれもなき有徳の高僧である。その人がこのような落語みたいなエピソードに登場させられている。すっかり上人の高い学問が茶化されてしまっているのである。だが別に兼好法師は上人をあざ笑うつもりでこのエピソードを記録したわけではないだろう。いわゆる上人の「いい味出している」話だ。上人が学問ある高僧であることを承知した上で、こうやってユーモアのネタにすることで温かいまなざしを送っている。

しかし、こんなことを書かれたならば、毛奇齢ならば兼好法師の元に血相変えて飛んでいって、半殺しの目にあわせるのではないか?士大夫のプライドは、こんな侮辱にはおそらく耐えられまい。彼らは「見られる」視線を勘定に入れないことによってプライドを保っている。そして社会がそれを許容しているのである。確かに『荘子』に豊富に収められた孔子への罵倒がある。後漢初期の王充(おうじゅう)が著した『論衡』には儒教の大げさな倫理的態度が批判されていて、孟子への攻撃も載せられている。清代の『儒林外史』という内幕小説もある。だがそれらには、兼好法師の明恵上人に投げかけた両面的な視線がない。しょせん敗者のつぶやきにすぎないのである。まぎれもない勝者であり、学問文章の泰斗でもある一流の士大夫 は、彼らを視野に入れずとも許される。彼らにとっては士大夫のサークルの中の人間だけが「他人」なのである。地位などをとりあえず置いといてなまの人間として見据えたときに現れるはずの、こちらからも見てあちらからも見られる「他人」は、彼らの前にはおそらく見えていまい。そういった士大夫という存在は、商業社会に生きる近代人ではない。

太宰治は「義のために」遊ぶ、と書いた。「子供よりも親が大事、と思いたい」と書いた。これらの言葉は、何も士大夫の道徳に開眼したからではない。これらは全て本来その逆である日本の社会通念を逆さまにして世の中に抗っているのである。じじつ「子供よりも親が大事、と思いたい」と冒頭に書いた作品『桜桃』のすぐ後には、「何、子供よりも、その親のほうが弱いのだ」と続く。父親は妻子世間の視線を全部勘定に入れて、こづかれなぐられせびられ陰口をたたかれてもはやクタクタなのである。太宰の反抗は、世間という観客の前で大見得を切っているにすぎない。「見よ、この人!」だ。見られる視線だけが倫理の根拠である。日本人は太宰のような徹底的にだらしないアホボンを許容してしまうところがある。織田作之助の『夫婦善哉』はどうか。アホボンの柳吉は、もうどうしようもない。せっかく夫婦で貯めた小金を一瞬で遊びに使ってしまう。なのに蝶子は妻としてそばにいて、苦労する。儒教の称える婦徳の表れか?冗談じゃない。柳吉は見られて、叩かれる存在である。徳など何もないが、しいていえばそれが一徳だ。一応「可愛げ」がある。だが中国の君子に「可愛げ」があるなどと妻が言ったならば、血の出るまで鞭で折檻するだろう。柳吉は、朝帰りなどしたらきっちり蝶子に折檻されるが。

三島由紀夫は、太宰治を嫌っていた。彼は元大蔵官僚で、学習院高等科卒業の際には首席として天皇から恩賜の銀時計を貰ったほどのエリートである。彼は最初で最後に太宰に会いに行ったとき、取り巻きに囲まれて「司祭と信徒のような」雰囲気の中にいたこの作家に面と向って「僕は太宰さんの文学はきらいなんです」と言ったという。三島の作家生活はプロとして自覚を持ち、仕事をきちんとこなすビジネスマンライクなものであった。そこには、太宰のような「見られる」視線にクタクタになって弱い者として書く姿勢から遠く隔たり、近代社会の中でまっとうな一社会人として分限のある自我を保とうととする作家の態度がある。近代社会では「見られる」ことはもはや必然である。その条件で自我を保とうとするならば、自分を社会のルールに適合させながら、自分に割り振られたテリトリーを守りきる西洋個人主義的な心のあり方に依拠するより他はない。

だが、周知のとおり、三島は自決した。彼の心の中には空虚しかなかったのである。だからもはやありえない神聖なもの ― 彼の空想の中にしかない天皇 ― に何とか触れようとするしか自分の究極の存在意義を見出せなかった。西洋個人主義への試みは、こうして挫折したのである。

何ともやりきれない。

だが、日本的な条件の中でも、「見られる」視線を勘定に入れながらも確信を持った自我を保って生きる道は、きっとあるはずだ。


(2005.11.21)




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