盡心章句下
十五
孟子曰、聖人百世之師也、伯夷・柳下惠是也、故聞伯夷之風者、頑夫廉、懦夫有立志、聞柳下惠之風者、薄夫敦、鄙夫寛、奮乎百世之上、百世之下、聞者莫不興起也、非聖人而能若是乎、而況於親炙之者乎。
孟子は言う。
「聖人は百世の師である。伯夷・柳下恵がそうだ。ゆえに伯夷の話を聞いた者は、欲の深い者も廉潔となり、なまくら男も志を立てるようになる。また柳下恵の話を聞いた者は、薄情な者も情厚くなり、心のせまい者も寛大となる。百世前にがんばった人物の話を聞いて、百世後の人間まで奮い立たない者がいないとは。聖人でなければこのようなことはできないだろう。いわんや彼らから教えを親しく受けた、同時代の人への影響ははかりしれないものだったであろう。」
《★故事成句★》
「親炙」(しんしゃ)(親(ちか)くで炙(あぶ)られる。つまり、人から教えを親しく受ける。「私淑」の対義語であることに注意。)
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「親炙」の語の出典である。本章の言葉は、萬章章句下、一の発言とも重なっている。ただし、萬章章句では伯夷・柳下恵に加えて伊尹もまた挙げられている。告子章句下、六では、伯夷・柳下恵・伊尹の三人が仁を目指す君子の模範として挙げられていた。伯夷・柳下恵そして伊尹がこのようにたびたび挙げられているところから見て、彼らに孔子を合わせた四者が孟子の学校ではほとんど君子のケーススタディーの定番となっていたのであろう。言われている内容も、全ての章で決り文句のように重なっている。
(2006.04.06)