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盡心章句上



四十一



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公孫丑曰、道則高矣、美矣、宜若登天然、似不可及也、何不使彼爲可幾及而日孳孳也、孟子曰、大匠不爲拙工改廢繩墨、羿不爲拙射變其彀率、君子引而不發、躍如也、中道而立、能者從之。

公孫丑が言った、
公孫丑「君子の道とは、何と高くて麗しいものなのでしょうか。それを行くのは、ほとんど天に登るような難しさです。とても届けそうにないように見えます。もう少しだけ、従うものが近づけそうな希望を持ってがんばる気を出せるようにできないものでしょうか?」
孟子「棟梁が、下手な大工に合わせて墨縄(すみなわ。縄に墨を含ませて、木に直線を引く)を変えたり、使うのをやめたりするか?羿(げい。羽のしたに廾。いにしえの弓の名手。離婁章句下、二十五参照)が、下手な弓取りに合わせて射術を変えたりするか?君子の教え方とは、たとえるならば弓を引き絞っていまだ放たない状態だ。不動であるが、そこには踊るが如き気迫がこもっている。中道に立って、みじんも動かないのだ。ついてこれる者だけが、従うことができる。」

公孫丑と同様の問いかけを、孔子の弟子の子貢(しこう)が師にしたことがあった。そして、それに対する孔子の回答もまた、孟子と同じものであった。君子は自らの道をひたすら修めるのみであって、それが必ずしも当世の人々に受け入れられるかどうかはわからない。しかしそこで道を枉げて世人に受け入れられようとするならば、その志は遠大とはいえない、と(『史記』孔子世家)。

面白いことに、子貢に諭すときに孔子は、「よき農夫が種を播いても、水害や干害などによって収穫できないこともある」というたとえを出している。農夫が種を播くことをたとえに使うことは、実はイエスもまた行なっているのである。イエスは人々に言う。種を播いても道ばたに落ちれば、鳥が食ってしまうだろう。石の上に落ちれば、根が着かないだろう。いばらの中に落ちれば、上をふさがれて育たないだろう。良い土地に落ちた種だけが、何十倍もの収穫を上げるのである。「おおよそ、持っている人は与えられて、いよいよ豊かになるが、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられるであろう」(『マタイによる福音書』より)。こうやって、イエスは信仰を固く守れる人は限られた者であり、かつその限られた者だけが天国に行けることを説く。それは、イエスを信じてつき従う者がこれから辿るであろう、苦難の道をめげずにひたすら耐えていくよう求める選ばれた人への言葉である。

あの世も天国も説かない儒教であるが、子貢に説いたときの孔子や本章での孟子の発言には、現世の誰にも聞いてもらえないかもしれなくても、独りで正しい道を歩んでいこうとする、孤独な宗教家の陰影が差している。だがもし儒教が秦帝国以降に衰えてしまっていたならば、彼らの信念は全て悲しき徒労となっていたであろう。そうならなかったのは彼らにとって幸いであったが、その裏で例えば墨家の信奉者たちの命を捨ててかかった世直しへの祈りは、結局全く虚しいものとなって歴史の中に埋もれてしまったのであった。


(2006.03.28)



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