この章で「天」という概念が始めて言及される。「天」とは何なのか。一神教の絶対神とどう違うのだろうか。
公孫丑章句下、八には「天の役人ならば、(燕を)討伐してもよい」(天吏則可以伐之)と言及されている。つまり、天は地上の人に正義を命ずる存在だということだ。
また、公孫丑章句上、七には「仁は天から与えられた尊い爵位(とでもいうべきもの)だ」(仁天之尊爵也)とある。つまり、人間に美徳を与えた造物主だということだ。ならば、一神教の父なる神と同じではないか。だから孔子も、「五十にして天命を知る」(『論語』為政編)と自分の天命に敬虔となった過去の時代を回想したのだろう。
『易経』の解説書の一つ『繋辞伝』には宇宙論の中で天と地と人の交わりが論じられている。それは、「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった」(ヨハネによる福音書、冒頭)と説くキリスト教の神の意志から流出する宇宙論とはまた違ったコースで、大宇宙の秩序の中の人間という思想を語っている。古代中国思想もまた、何も人間の意志だけが万能だとは考えてはいなかった。人間はこの宇宙の法則を知って、それに応じて道徳を研鑚しなければならない。「永続できるのは賢人の徳で、偉大なのは賢人の業績だ。理解しやすいから天下の法則を得ることができるし、天下の法則を得ることができるから天地の間でバランスを取ることができる。」(易経、繋辞上伝「可久則賢人之コ、可大則賢人之業、易簡而天下之理得矣、天下之理得而成位乎其中矣」)
だが、孟子は「天は何も言わない。人の行動とその結果によって天命を示唆するだけだ」(萬章章句上、五)と言う。すなわち、天は言葉で何も命じることはなく、この地上の社会で人が正しいことを行って、結果として社会を調和させたならば、それが天命があった証拠となるというのだ。言葉で命令を連発する、一神教の神とは少し違うような天を孟子は考えているようだ。
この章で引用された詩経所収の大雅『皇矣』の中には、「天は文王に告げられた/横行してはならない/貪りうらやんではならない/大いに先んじて濁流を離れて岸に登れ」といったくだりもある(天謂文王、無然畔援、無然歆羨、誕先登于岸)。非常に始原的な中国人の考えには天からの具体的な命を聞く発想があったはずだ。だが中国では、一神教のように時代ごとに新たに預言者が現れて神の言葉を改めて啓示するような思想に、後世発展しなかったようだ。
だが、その行動基準としていにしえの聖人がいるわけで、我々はいにしえの聖人が言ったこと成したことに学んで正しいことを行えば、それが天の意志に従う最も良い道のはずだ(離婁章句上、一)。一神教ほど命令への盲従を要求しないが、儒教といえども人間にそれほどでたらめを許すわけではない。聖人の示した道を外れ、天意に逆らえば、結局地上の人に見捨てられて成功は得られないはずなのだ。
(ただし、孟子が聖人の示した行動規範について、果たして天からの啓示として敬虔に受け取ろうとしていたかどうかはちょっとあやしいと思う。盡心章句下、三を見よ。この「ことごとく書を信ずれば、則ち書なきに如かず」というのは有名な成句だが、別の目から見れば後世の者が主観的に規範を取捨選択する道を認めかねない、きわめて不遜な物言いである。だから吉田松蔭も、この章が後世の者による自由な取捨選択を孟子が許した言葉ではないと証明しようとして苦労している。このように孟子の姿勢からはいにしえの伝承に対する素朴な「敬虔さ」が抜け落ちて、論理の首尾一貫性にたぐり寄せようとする姿勢が見て取れると思うのだが。このことは萬章章句の各問答での孟子のいにしえの伝説に対する解釈論に表れているのではないか。)
しかし、ここで困ったことが起こる。聖人の示した道に従い、正しい道を進んで、成功しなかったらどうするのか。
儒教が一神教と決定的に違うところは、儒教には地上で報われなくても来世で報いてくれる「天国」がないのだ。死ねばおしまいなのだ。
悪逆無道な殷の紂王を討つことを決意した周の武王を、伯夷は諌めた。「臣が君主を討ってもよいのか!」確かに紂王は不仁の王である。だが、君臣の義は儒教にとって最重要の徳目だ。武王がしようとしている事は地上の倫理に傷を付ける行為ではないか。この一時の行動で、後世にまで下克上の見本を示すことになる。いま一度考え直せ、と伯夷は武王に迫ったのである。結局武王は伯夷の進言を容れずに紂王を倒し、殷は滅亡した。だが一度王の前で諌言した以上は節操を変えることを拒否し、伯夷は再び王の下に仕えず、弟の叔斉と共に山の中に入ったまま、餓えて死んだ。
この話に対して司馬遷は「天道は是か非か」と問う(『史記』伯夷列伝)。義の道をひるまずに示した伯夷は報われることなく死んだ。正しいことをした人でもこのように不遇に会うのはなぜだ。
孔子は「五十にして天命を知る」と言った。確かに孔子の生涯は理想の実現からは程遠かった。だが、この伯夷よりはましだ。孔子に「天命なのか!この人物がこんな病気にかかるなんて」と嘆かせた弟子の冉伯牛よりはましだ(『論語』雍也編)。いや、こんな記録にも残らない圧倒的多数の人々はどうなのか。
「報われないのに、正しいことをすることに何の意味があるのか?」
この問いについて、ここでこれ以上検討するのはやめにしておこう。だが、この問いは天国のない儒教にひそかに影を落としているはずなのだ。いずれそれを見るときもあるだろう。
(2005.09.15)