離婁章句下
三十一
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公都子曰、匡章通國皆稱不孝焉、夫子與之遊、亦從而禮貌之、敢問何也、孟子曰、世俗所謂不孝者五、惰其四支、不顧父母之養、一不孝也、博弈好飲酒、不顧父母之養、二不孝也、好貨財、好妻子、不顧父母之養、三不孝也、從耳目之欲、以爲父母戮、四不孝也、好勇鬭很以危父母、五不孝也、章子有一於是乎、夫章子、子父責善而不相遇也、責善朋友之道也、父子責善、賊恩之大者、夫章子豈不欲有夫妻子母屬之哉、爲得罪於父不得近、出妻屏子、終身不養焉、其設心以爲不若是、是則罪之大者、是則章子已矣。
弟子の公都子(こうとし)が質問した、
公都子「斉国では、あげて匡章(きょうしょう。斉の人。滕文公章句下、十参照)のことを不孝者だと言っています。なのに先生は彼と交流するどころか、礼をもって敬っています。あえて質問しますが、どうしてなのですか?」
孟子「世間のいわゆる不孝者とは、五つある。一つ、働かずぶらぶらして、父母を養わない者。二つ、バクチや酒にうつつを抜かして、父母を養わない者。三つ、金儲けや妻子にかまけて、父母を養わない者。四つ、音楽や演劇などの耳目の楽しみに溺れて、父母に恥をかかせる者。五つ、勇を好んで喧嘩を行い、父母まで危険にさらす者。章子(匡章を敬って呼んだ)は、この五つの一つにでも当たっているだろうか?かの章子は、父子でどちらが善であるか意見が対立して、互いに顔を合わせなくなった。どちらが善であるかを責め合うのは、友人同士が行なう道だ。父子が善を責め合うのは、最もひどく恩愛の情を傷つける。あの章子が、家庭を持って夫妻親子ともども暮らしたいと思っていないはずがない。だが罪を父親に得て近づくことができないために、妻も子も家から出して、ずっと一人で妻子に養われずに暮らしている。彼は、思うにここまでしなければ父と反目している罪の大きさに引き合わないと決心しているのだ。こんなことができるのは、章子だけだぞ。」
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滕文公章句下、十で、匡章は陳仲子(ちんちゅうし)を清廉の士だと評価した。孟子はそれに反論して、「実家を不義だと嫌って妻と共に別居しているような者が、清廉の士のはずがない」と決め付けた。一方本章では、父親と反目して顔も合わせられない匡章本人が、それを罪だと思って妻子を里に帰してしまったことを称えている。陳仲子も極端ならば、匡章も極端ではないか。だが孟子は儒教の倫理体系に則って、陳仲子を攻撃して匡章を評価するのである。
もとより福祉国家以前の社会では、家族は老齢者扶養のための制度でもあった。周の文王が鰥寡孤独(かんかこどく)の者たちを真っ先に助けようとしたのは、独り者の老幼者はそのままでは死んでしまうからである(梁恵王章句下、五)。だが儒教ではそのような経済的理由の義務に加えて、親子は最も近しい人間関係であって「仁とは煎じ詰めれば、親に仕えることだ」(本章句上、二十七)と主張する。本章でも言われているように、父子の関係というものは善悪を責め合ったりしない情でつながれるものだと位置付けされるのである。だから親は子を他人に教育させるのだと本章句上、十八では説かれた。
本章が離婁章句の中に収録されているところから見て、本章の主眼は、「人間にとって配偶者や子供は父母よりも重要でない」というものであろう。だから匡章の行為は孟子によって肯定される。儒教の五倫では、夫と妻との関係は「別」(べつ)すなわちなれなれしくせずに男女のけじめを付けるべき関係だとされる。なぜそう位置付けられるのかと言えば、親子の関係が「親」(しん)すなわち親しみ合う関係とされていることと合わせて見ればよく解釈できるのではないだろうか。「夫婦相和シ」(教育勅語より)とは言うものの、夫婦が互いを大事にして自分たちの世界に入ってしまえば、親子や嫁姑の関係がぎくしゃくするのは人情のなりゆきというものだ。それを阻止するために、夫婦はあえてけじめを付けて家族内の秩序を踏み外さないようにせよという倫理的要請である違いない。儒教は自然な人間の他者への情愛から倫理を発展させる体系であるが、こと夫婦の関係については自然な情を肯定しているとはとても言い難い。夫婦の「別」の倫理は、親子の関係を維持するためにむしろ外から枠ではめた外的な倫理である。儒教の倫理が自然な情愛を抑圧する点の一つがここにある。
さらに、匡章は人の子であると同時に人の父でもある。だから、自然な情としては子供と別居したくないに違いないことは、孟子もまた認めるところである。なのに、匡章は親への罪を優先させて子への情を押さえ込んだ。子よりも親を選ぶというのも、自然な情とは言い難い。これもきっと外的な倫理に違いない。儒教の倫理が自然な情愛を抑圧する点の二つ目である。これらの抑圧を見ると、孟子が言うほど儒教倫理を持って生きるのは、心の中の仁義の自然な発露というわけにはいかないはずだ。
舜と父親の瞽ソウとの関係のように、儒教では身近なものへの情愛から倫理を始めるとは言うものの、それは「子は親を愛さなくてはならない」という義務感で制御されたものとなっている。「親は子に親しみ、子は親に親しむものだ」というのは確かに自然な人情かもしれないが、こと関係がもつれたりして倫理的選択を迫られたときには、人間は断然親を取って配偶者や子供を捨てなければならないとされるのである。結局自然な情からはずいぶん遠い倫理を打ち立てることになってしまった。これならば、ユダヤ教やキリスト教のように神からの掟として「なんじの父母を敬え」と命じられている方が、すっきりする。じじつ、伝統的中国社会では家父長主義を支える鉄の掟として儒教は機能した。
人間が親を取るべきか配偶者や子供を取るべきかの岐路に立たされたとき、「配偶者や子供を取って親を捨てろ」と積極的に教える宗教は、まずそんなにないだろう。「子は親を敬え」という倫理は、家族が老齢者扶養のための制度であるという経済的事実を根拠づける機能を果たしてきた。だから、老齢者扶養が国家の制度として採用された現代社会において、初めて「親よりも自分の家族のほうがどちらかといえば大事」という考えの経済的根拠が整ったのだ。だが家庭を持った子が親から離れることを肯定する者は、やがて自分もまた遠くない将来に自分の子から離れられることを覚悟しなくてはならない。そこには、伝統的な「子は親を敬え」とは違った倫理観が必要となるだろう。現代社会は、親と子がばらばらに離れて各人が孤独になっていく原理が組み込まれているのである。それもまた、自然な人情からは少しく離れているようだ。
《次回は離婁章句下、三十二》
(2006.01.16)