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滕文公章句上



四(その二)



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當堯之時、天下猶未平、洪水横流、氾濫於天下、草木暢茂、禽獸繁殖、五穀不登、禽獣偪人、獸蹄鳥迹之道交於中國、堯獨憂之、擧舜而敷治焉、舜使益掌火、益烈山澤而焚之、禽獣逃匿、禹疏九河、瀹濟漯而注諸海、決汝漢、耕淮泗而注之江、然後中國可得而食也、當是時也、禹八年於外、三過其門而不入、雖欲耕得乎、后稷教民稼穡、樹藝五穀、五穀熟而民人育、人之有道也、飽食煖衣、逸居而無教、則近於禽獸、聖人有憂之、使契爲司徒、教以人倫、父子有親、君臣有義、夫婦有別、長幼有敍、朋友有信、放勲日勞之來之、匡之直之、輔之翼之、使自得之、亦從而振徳之、聖人之憂民如此、而暇耕乎、堯以不得舜爲己憂、舜以不得禹・皋陶爲己憂、夫以百畝之不易爲己憂者農夫也、分人以財、謂之惠、教人以善、謂之忠、爲天下得人者、謂之仁、是故以天下與人易、爲天下得人難、孔子曰、大哉堯之爲君、惟天爲大、惟堯則之、蕩蕩乎民無能名焉、君哉舜也、巍巍乎有天下而不與焉、堯舜之治天下、豈無所用其心哉、亦不用於耕耳、

孟子(つづき)「(神農神農とあんたらは言うが、神農よりずっと後の時代のことについて語って聞かせよう。)堯(ぎょう)の時代には、天下はいまだ平らかでなかった。あっちこっちに洪水が起こり、天下に氾濫していた。草木は伸び放題で、野獣や鳥のケダモノが繁殖していたのだ。五穀は実らず、ケダモノは人間の住居地のそばを跋扈し、野獣や鳥の足跡が中国じゅうについていたのだ。そのような中で堯帝はただひとりこの惨状を憂い、舜を登用して統治に当たらせた。舜は益(えき)に命じて火による野焼きを担当させた。益は山や沢に火を放って焼き、こうしてケダモノどもは逃げ隠れた。(舜の命により)禹は中国の河川にあまたの水道を通じた。こうして濟水(せいすい)・漯水(とうすい。トウは「さんずいへん+累)の流れをゆるやかにして海に注がせ、また汝水(じょすい)・漢水(かんすい)の水路を切り開いて淮水(わいすい)・泗水(しすい)の水を排水して、これらを長江に注がせた(注:これらはいずれも中国中部の巨大河川である)。この後にやっと中国は食糧が得られるようになったのだ。この頃、禹は八年間も家の外で働き、三度自宅の門の前を通っても入らなかったほどだ。耕作しようとしても、そのような暇があるはずもない。(さらに舜の命によって、)后稷(こうしょく。周王家の祖先)は人民に栽培・収穫のやり方を教えて五穀を植えさせた。こうして五穀は実って人民は繁殖するようになった。だが人民というのは飽食暖衣してぶらぶら暮らし、何も教化しなければ、ケダモノと変わりがない。聖人はまたこれを憂えた。そこで舜は契(せつ。殷王家の祖先)を司徒(しと。文部大臣)に命じて、人倫を教えさせた。すなわち父子の間には親(しん)を、君臣の間には義(ぎ)を、夫婦の間には別(べつ)を、長幼の間には敍(じょ)を、そして朋友の間には信(しん)を設定したのであった(注:いわゆる五倫。その定義はここでは控えておく)。また大功の人(堯のこと)は君主として毎日人民をねぎらって励まし、矯正してまっとうにし向け、援助して助力してやった。人民が自ら正道をわかるようにさせ、いっしょになって恩恵をほどこしてやったのだ。聖人が人民を憂えることはここまでだった。耕作などしている暇などあろうか?

堯は舜を得られないことが憂いだった。舜は禹や皋陶(こうよう。名臣と伝えられる)を得られないことが憂いだった。百畝(1.82ヘクタール)の田地をうまく経営できないごときのことを憂いとする者は、農夫である。人に財産を分け与えることは、恵み与えることすなわち「恵」だ。人に善を教えることは、まごころから尽すことすなわち「忠」だ。天下のために人材を得ることは、人々を愛することすなわち「仁」だ。(恵よりも忠は難しく、忠よりも仁は難しい。)だから人に与えるのは易く、人を得るのは難しい。孔子はこう言った、

偉大なるかな、堯の君主ぶりは。この世に天より偉大なものはなく、堯はただ天の道に則って政治を行なった。広大で、人民には形容のしようもない。素晴らしきかな舜は。堂々と天下を保って、(細かい実務は賢臣に任せて)関与しなかった。
(『論語』泰伯篇に類似の文がある。だが『論語』では禹の君主ぶりも称えられている。ここで禹を外したのは悪意があるのかもしれない。下のコメント参照)

これほど長の上に長たる堯・舜が、天下を治めるのに心を砕かなかったわけがあるまい。耕作ごときの小事に使わなかっただけだ。」

本章のここのくだりは、『論語』のこの章の主張を長大な歴史観で理論武装したものである。

子路(しろ)が孔子に従っていたが、遅れてしまった。孔子を追う途中で、ある丈人(じょうじん。杖を持つ老人)が杖を持って竹かごを背負っているのに出会った。子路は問うた、
子路「あなたは、わが先生を見ませんでしたか?」
丈人「『せんせい』?体を動かして勤労もせず、五穀の見分けもつかないような人間をなんであんたは『先生』というのか!」
こう言い捨てて、杖を立てて草刈りを始めた。
子路は、(彼を人物であると評価して)手を合わせてそこに立ち続けた。これを見て丈人は子路を呼び止めてその日は宿泊させた。鶏を殺し、黍飯を炊いてご馳走し、彼の二人の息子にも引き合わせたのだった。

次の日、子路は孔子の下に追いついて、始終を孔子に言った。孔子は「彼は、隠者だな」と言った。そこで子路に命じて再び戻って丈人に会わせようとした。だが着いてみると、丈人は留守だった。子路は(残っていた息子たちに)言った、
子路「仕えなければ君臣の義はないかもしれませんが、それでも長幼の序は捨て去ることはできないでしょう。君臣の義もまた同じです。人間はそれを捨て去ることはできないのです。(お父上にお伝えください、)あなたはご自分の身をいさぎよくしようとして、社会全体の大きな人倫を乱しています。君子があえて仕えようとするのは、その義を行なおうとするからです。今の世に正道が行なわれないことぐらい、孔子はすでにじゅうぶんわかっているのです。」
(微子篇より)

この子路と丈人のエピソードは、中島敦の『弟子』でもふくらませて取り上げられている。おそらくこのようなエピソードが収録されているところから見て、儒家は「勤労しない学者なんざあ穀つぶしよ!」という反儒家の側からの攻撃にかなり動揺した時期があったのではないか。古代中国人もそうだったのであろうが、現代日本人の学者やインテリもまた丈人のような勤労者からの攻撃にとても弱い。これがかつて日本のインテリをマルクシズムが捉え、かつ一旦はマルクシズムに捉えられたインテリが大衆からの孤立感に悩んで結局国家主義に転向した、その背景にある心理的傾向である。

『論語』では、子路の丈人への反論は弱弱しい。だが『孟子』のこの章では一転して重々しい歴史の正当観を固めて反撃に出ている。『論語』では「誰かがやらなければ世の中の倫理はダメになってしまうじゃないか!」という悲壮な決意でしかないが、『孟子』では「社会を指導し倫理を定める政治とは、農作業ごときの小事よりはるかに有益なのだ!」といわば開き直る。ここに儒家が次第に自己を正当化するために自らの歴史イデオロギーを固めていった経過が見て取れないだろうか?

許行らの農家が信奉する神農を超える聖王として孟子が打ち出すのが、堯・舜である。彼らは政治により人民の暮らしを安定させた。堯は舜を庶民から抜擢して政治に当らせた。舜は益に命じてはびこる猛獣を追い払わせ、禹に命じて川の流れを定めさせ、后稷に命じて五穀の栽培法を人民に教えさせ、契に命じて父子の親・君臣の義・夫婦の別・長幼の序・朋友の信の五倫を定めさせた。これらの事業は己の百畝の田を心配する小事ごときをはるかに越えた利益があった。だから政治を行なう君子の仕事は偉大である。そういったストーリーだ。きっちり墨家が信奉する禹を使う上役として堯・舜を位置づけ、墨家から投げかけられる「天下の具体的な利益となる実践だけを尊重すべし」という主張の上手に出ようとも仕組んでいる。いっぱんにこの滕文公章句は、儒家の正当性を主張して他学派に反論するための宣伝パンフレット的色彩が濃厚である。


(2005.11.29)




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