離婁章句下
二十八
孟子曰、天下之言性也、則者以利爲本、所惡於智者、爲所鑿也、如智者若禹之行水也。則無惡於智矣、禹之行水也、行其所無事也、如智者亦行其所無事、則智亦大矣、天之萬也、星辰之遠也、苟求其故、千歳之日至可坐而致也。
孟子は言う。
「天下万物の本質を論じようとするならば、『故』すなわち過去の事実を集積してそれに準拠するしか比定しようがない。『故』すなわち過去の事実とは『利』すなわち起こりやすかったから起こったことの集積なのだ。智がときに憎まれる。なぜか。それは、『故』すなわち過去の事実に準拠せずあれこれ机上の空論を行うからだ。だから、もし智者が禹の治水のように論考を行うならば、誰も憎みはしない。禹の治水は、無理をせず通しやすい場所を見極めて行われた。もし智者も禹の治水のように、過去に通っていった道を元にして智を働かせれば、その智は偉大なものとなるのだ。天はあまりにも高く、星はあまりにも遠い。だが、『故』すなわち過去のデータを集積していけば、千年先の冬至の日も居ながらにして計算できるようになるはずなのだ。(このように、智者は机上の空論をするな。過去の人間の歴史の智恵を学べ。)」
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この章には、上のような訳とは異なる解釈がある。小林勝人氏は、「故」を「知的な推理」と解釈し、「利」は「知」の字の誤写と解釈しておられる。その解釈からの結論は「正しく演繹すれば、正解はおのずとわかる」と孟子は主張した、とされる。だが、孟子は離婁章句を「過去の聖人の行跡に準拠せよ」という経験主義的な論議から始めている。それに近い解釈をしようとして、私はあえて「故」を「故きを温(たずね)て新しきを知る」と同じ「過去の事実」という意味とし、「利」を「王、なんぞ必ずしも利と曰わん」の「利」と同じ「功利、役に立つもの、自然とやりたいと思うもの」の意とした(朱子の解釈とほぼ同じ)。
もしこの章で孟子が「正しく演繹すれば、正解はおのずとわかる」と主張していたならば、千年先の冬至の日が戦国時代当時の天文知識で正しくわかるはずがない(当時は「四分暦」といって1年を365.25日として計算していたはず。これでは千年先の冬至の日は実際と数日ずれる)。それでは大先生が将来の時代の知識から見て噴飯ものの放言を行ったようになってしまうので、このようにもっと真摯なことを言おうとしていたと解釈した次第。