離婁章句上

十八

公孫丑曰、君子之不教子、何也、孟子曰、勢不行也、教者必以正、以正不行、繼之以怒、繼之以怒、則反夷矣、夫子教我以正、夫子未出於正也、則是父子相夷也、父子相夷、則惡矣、古者易子而教之、父子之�阨s責善、責善則離、離則不祥莫大焉。 弟子の公孫丑が質問した、 公孫丑「君子が自分の子を教えないというのは、どうしてですか？」 孟子「うまくいかないからだ。教育する者は、必ず正しいことを子に教える。しかし教えたのに子が正しいことを行なわなければ、当然叱る。しかし叱れば、教育する者の子への情は傷つく。そして子が『お父さんは私に正しいことを教えているけれど、お父さんじしんがちっとも正しいことを行なっていないじゃないか！』と思うようになったら、父子の関係が傷ついてしまう。父子の関係が傷つくのは、最悪だ。いにしえの人は、子を取り替えて教育した。父子の関係というものは、善悪を責め合ったりしない情でつながれるものなのだ。善悪を責め合ったら関係が疎遠になり、それは何よりもよくないことなのだ。」

この章はよく読めば、孟子の倫理学説の内容がよく分かるようになっている。この教育論もまた、孟子の儒教の体系と整合的に作られているのである。

本章句上、十二で外界の構造が述べられた。その構造の中で親は最も自分に親密な他人であって、真っ先に自分の行動が検証されるべき対象であると主張されていることを検討した。繰り返すと儒教は人間の身近なものへの情愛を「自然な感情」として捉え、そこから飛躍することなしに大きな社会倫理までを構築する首尾一貫した体系である。だから盡心章句上、四十五では「両親には親しみ、人民には仁の心で接し、モノは愛玩する」と述べられているのである。親子の関係は「五倫」の中では「親」、つまり「親しむ」関係だと規定されていることと一致する。

親子の間の関係は「親しむ」関係だから、孔子は「父は子のために隠し、子は父のために隠す。直（なお）きことその中にあり」（『論語』子路篇）と主張するのである。孟子もまた、もし舜の父が殺人を犯したならば、そのときは帝位を投げ打って父を背負い逃げ隠れるだろうと主張する（盡心章句上、三十五）。後世の通俗化した儒教ではあまりにもぼやかされてしまっているが、親子の関係は本来命令服従の抑圧的な秩序の装置だけではない、人間の「他人に配慮する」心がまっさきに展開されるべき濃密な場なのである。身近なものへの情愛から社会関係をスタートさせる儒教としては、そうでなくてはならないのだ。これはすぐれて論理的な要請である。

だから本章の主張となる。ここで孟子は、親子の関係は「親しみ」によって形作られるべきだから社会的な正義とは矛盾すると（図らずも）表明してしまっているのではないか。親子の関係は「仁」の心の最も初歩的なもので、一方教育者が子に教えるべき社会的な正義とは、とりもなおさず「義」であろう。孟子が親は子を教えるのに不適切だと言うのは、つまり子にとって「仁」と「義」がそのままでは両立しないことを言ってしまっているのではないか。後の告子章句で孟子は「仁」も「義」も人間にとって本性的なものだと強弁するが、どうやらこの章を読む限り彼の主張は破綻している。「仁」と「義」は教育を介して分別ある大人とならない限り、両立できないのである。結局荀子の指摘が正しいことになる。

本章は以上のように、儒教の倫理構造から導き出されるはずの結果を論理として述べたにすぎず、孟子が教育のあるべき姿について深く考察した上での発言だとはとても思えない。情愛と社会的なルールは（１）同じ人を通して教えることができないのか、（２）同じ人を通じて教えることができるのか、さらには（３）同じ人でなければ教えることができないのか。― この三者は、教育論としてもいろいろな意見がありうるだろう。（１）が、孟子の立場である。それは、身近な人への「自然な感情」を越えた博愛的精神をウソツキだと切り捨てる現実主義に立った思想である。縁遠い他人との関係は情の入らない社会的ルールにすぎず、そこに親兄弟や友達に等しい愛情は期待できない。孟子にとっては君臣の関係もまた「義」であって、その親密さは近しい者と比較にならない。そのような疎遠な人間とのルールは、それこそ子供と疎遠な人が怒鳴りつけてでも教えるしか子供に身に付かせられないという考えとなる。だが現代人はおおむね（２）の考えを持っているか、またはラディカルな人ならば（３）を主張するだろう。それは「情愛と社会的ルールは人間として両方大切なものだから、大人は両方教えることができる（教えなければならない）」という大人観があるに違いない。

「どれが教育法として正しいのか」など、もとより私は言う資格がない。また儒教のような差別愛と現代の教育でふつう教えられている博愛のどちらが子供にまず教えるのに適切なのかということも、私は言うことができない。ただ、教育も「礼」の一つであり、個々の親や子供や教育者を越えた社会的な合意として「こう教育するのが制度である」ということが了解されていることが、教育の効果を出すためにおそらく必要なことなのであろう。

次章は私の勝手な解釈の訳を載せるが、ゆえにあえてコメントを控えたい。以降、格言的な章や弟子の楽正子との大して重要でない問答が続くので、一気に二十六章まで飛ぶことにする。

《次回は離婁章句上、二十六》

（2005.12.27）