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盡心章句上



二十



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孟子曰、君子有三樂、而王天下不與存焉、父母倶存、兄弟無故、一樂也、仰不愧於天、俯不怍於人、二樂也、得天下英才而教育之、三樂也、君子有三樂、而王天下不與存焉。

孟子は言う。
「君子には三つの楽しみがある。しかし天下の王となることは、それに入っていない。父母は共に健在で、兄弟は事故もなく暮らしている。これが一つ目の楽しみである。上を向いては天に恥じず、下を向いては人に恥じることがない。これが二つ目の楽しみである。天下の英才を得て、これを教育する。これが三つ目の楽しみである。君子にはこの三つの楽しみがある。しかし天下の王となることは、それに入っていない。」

孟子が全編を通して力説する、仁義の徳だけに心を落ち着けるべき君子の心構えがここでも再説されている。君子の三つの楽しみには、天下の王となる楽しみは入っていないという。あの聖王の舜ですら、孟子が言うには「天下を捨てることなど、破れ草履を捨てるようなもの」であった(本章句上、三十五)。偶然の幸不幸に左右されない君子の心は、天下一の富貴を得ても決してそれに囚われるべきでない。本章もストア派哲学の主張に通じている。

しかしキケロやセネカならば、おそらく君子の楽しみの中に心の友人を得ることを数え上げるに違いない。キケロと同様に、セネカもよき友人を得ることが最大の楽しみであることを、以下のように述べている。

何といっても、真実で甘美な友情ほどに心を喜ばせるものはない。君のどんな秘密でも安心して持ち出すことができ、彼が何を知っているのかなどを恐れることなど、君自身が心の中で知っていることへの恐れに比べば何も必要でなく、会話すれば君の不安も和らぎ、その意見は君の計画の助けになり、その快活さは君の悲しみを吹き飛ばしてくれて、その真の洞察が君を喜ばせる。こんな心の持ち主が君を待っていたら、どんなにか素晴らしいだろう!

(セネカ『心の平静について』 On tranquility of mind より。英訳からの転訳)

孟子は三つの楽しみの中に、理解しあえる対等の他人との交流関係を入れていない。その君子像は、あまりにも窮屈すぎる。私が思うに、孟子が孔子より人間的に一回り小さい部分がこの辺にあるのではないだろうか。


(2006.03.17)



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