この章は、まずセネカの以下の文と比較するのがよい。つまり、
セレヌス君、これまでずいぶん長い間、私はひそかに君がまさに言うような心の状態について考えてきた。私はそれをこのような人の状態にたとえるのが最もよいと思う。すなわち、長くてつらい病気から回復はしたものの、ときどき軽度の熱や不快に見舞われることがある状態。さらには、病気からは治ったものの、いまだに恐怖によって心を乱され、そのためもうすっかり健康なのに医者に脈を診てもらったり体温にいちいち心配したりする状態だ。セレヌス君、このような人の身体は不健康なわけではない。だが彼は健康にまだぜんぜん慣れていないだけなのだ。喩えるならば、嵐が収まった後の海や湖でも、静かな水面に何ほどかの波が立つようなものだ。だから、もう強い薬は必要でない ― つまりかつて私たちがしばらく行っていたような、あるいは自分自身に反抗し、あるいは自分自身に怒り、またあるいは自分自身を厳しく問い詰めるような激しい治療は、今の私たちにはもういらない。結局必要なのはこのことだ。自分自身を信頼し、自分が正しい道を進んでいることを確信することだ。多くの他の人たちがてんでばらばらに走っているいろんな道に出くわしても、横道にそれないことだ。そういった人たちの中には、自分では思ってもいない道をまちがえて走っている人もいるのだ。君が望んでいることは、偉大なことだ。高貴で、神に近いことだ。惑わされるな。
この安定した心の状態を、ギリシャ人は「エウテューミア」 euthymia と呼んでいる。デモクリトス Democritus のこれに関する著述は、優れている。私はこれを「心の平静」 tranquillity of mind と呼ぶことにする。ギリシャ語を直輸入したり、原語に忠実に言葉を造語する必要はなかろう。私たちが今話題にしている概念は、ギリシャ語の形をまねてではなく、その概念の持つ力にふさわしい名をつけなければならない。そこで問うべきは、どうすれば心は平静を保ちつづけて惑わされずに正しい道を進むことができるのか、どうすれば自分自身に満足できるのか、どうすれば自分のいる状態を喜んで眺めることができるのか、そしてどうすればこの喜びを邪魔されずに、浮かれ騒ぎも落ち込みもせずに平静な状態でありつづけることができるのかということだ。そしてこの状態こそ「心の平静」なのだ。さあ、この状態がどうすれば得られるかを普遍的な見地からとくと検討しようではないか。それは、君にとって思うがままに用いることのできる万能薬となる。(英語訳からの転訳)
(セネカ『心の平静について』 Tranquillity of mind より)
まさに、「エウテューミア」すなわち「心の平静」とは、この章で孟子がたとえる天の「尊爵」として「仁に里(い)る」ことであり、心の「安宅」として「仁に里(い)る」ことと同様の状態を指しているのであろう。
セネカの「心の平静」を得るための処方箋は、望む対象から偶然によって得られたり失ったりするものを取り除き、地位、財産、あるいは身体すら「仮に与えられたもの」として思いなし、ただ徳だけを望み愛することであろう。そして勇敢に、しかしまた一面で賢明で慎重に生きることを勧める。偶然的なものを取り除いた後に残る徳は、きっと神の摂理 the Providence と合致したまごうかたなき善であろう。その心がけさえ持ちつづければ、人は自己嫌悪に陥ることもないし、禍福に心惑わされることもない。
一方孟子は、「仁の人は、弓を射る人のようなものだ。射る人は己を正しくして、後に的に向けて放つ。もし当たらなくても、自分に勝った者を怨みはしない。自分を反省するだけだ」とたとえる。前章で言われたように、仁とは惻隠の心を伸ばしたものである。他者に開かれた心である。心が他者に開かれていることを見出すのが智者と言われる。同様に羞悪の心を伸ばした義、辞譲の心を伸ばした礼もまた他者に開かれた心であるから、智者ならば同様に自分の心の中に他者への方向性があることを見出すだろう。それによって人は自分が善であることを知る。だから心が奴隷の状態でなくなるのである。自分を正しくすることによって、心は完全な善を得る。心は奴隷の状態から解き放たれて自由になり、自分の状態を充足して眺めるようになって自己嫌悪はなくなる。結果、行ったことの結果の良し悪しで他人を怨んだりしない。「畜生!なんてあいつはラッキーなんだ」などと禍福をねたんだりしない。まだまだ研鑚が足りない自分のあり方を反省するだけとなる。そして逆に成功したとしても、自分がラッキーであったとしても、それにかまけて怠慢になることもない。自らの心の本性を知り、それが天から与えられた「天爵」であるゆえんを知り、それゆえ天命に生きるからである(盡心章句上、一)。
孟子の「仁に里(い)る」とは、前にも言ったように自分の中の自分以外のものに正統な根拠を求める考えである。「智」によって自分の心を見つめ、偶然によって左右されるような不純物を取り除くときに「善」を発見することができる。「善」は、他人に開かれた心である。だから賢者は自己嫌悪もしなければ、世間の目にいちいちかかずらわることもしないだろう。なぜならば、賢者は社会のために生きるが、それを主体的に生きるからである。
自分の中の自分以外のものに正統な根拠を求めるとは、言い換えれば、自分の中にかたよった何かのためではない、いわば無限の善を見出すということになるだろうか。ただし、孟子と現代人とを比較する際に注意しなければならないのは、孟子は古代中国の通念として、家の連続性を最も大事にしていた。子が親の喪に三年服すという「三年の喪」(これは当時としてもやりすぎで異様に見えたに違いない)を主張し、また「不孝には三つあるが、後継ぎがいないのが最も悪い」(離婁章句上、二十六)と言うように、儒教は「個人は先祖から子孫に続く家系の流れの一員である」という観念を強く主張する。したがって、公的生活から退いて家族のために生きることだけでも、過去から未来へと無限の流れのために奉仕しているという信念をとりあえずは確保できるのである。だが現代人の核家族は、そのような無限に全く開かれていない。だから、私は現代人はおそらく家族のために生きる倫理だけでは「他人に配慮する」心を満たす正統な根拠としては不十分で、心に「安宅」を得られないと思う。「各人の魂が不可侵の神聖さを持つ」という断固たる個人主義を信奉しない限り(真の個人主義は他者への強い倫理的態度であって生易しくはない)、やはり社会全体あるいは天下全体へ開かれた心を常に養い続けることしか、自分の中の自分以外のものに正統な根拠を求める道は開かれていないだろうと考える。
一方パウロは、同じく心を見つめながら、全く違うところに無限の正義を見出す。
それゆえに、兄弟たちよ。わたしたちは、果たすべき責任を負っている者であるが、肉に従って生きる責任を肉に対して負っているのではない。なぜなら、もし、肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬ以外ないのである。しかし、霊によってからだの働きを殺すなら、あなたがたは生きるであろう。すべて神の御霊に導かれている者は、すなわち、神の子である。あなたがたは再び恐れをいだかせる奴隷の霊を受けたのではなく、子たる身分を授ける霊を受けたのである。その霊によって、わたしたちは「アバ、父よ」と呼ぶのである。御霊みずから、わたしたちの霊と共に、わたしたちが神の子であることをあかしして下さる。もし子であれば、相続人でもある。神の相続人であって、キリストと栄光を共にするために苦難をも共にしている以上、キリストと共同の相続人なのである。
わたしは思う。今のこの時の苦しみは、やがてわたしたちに現されようとする栄光にくらべると、言うに足りない。被造物は、実に、切なる思いで神の子たちの出現を待ち望んでいる。なぜなら、被造物が虚無に服したのは、自分の意志によるのではなく、服従させたかたによるのであり、かつ、被造物自身にも、滅びのなわから解放されて、神の子たちの栄光の自由に入る望みが残されているからである。
(『ローマ人への手紙』より。ちなみに、「アバ」とはアラム語で「父」という意味。アラム語はパウロ当時のパレスチナで普通に使われていた言葉。)
パウロの結論は、「肉は死すべきもの」だということである。「義人はいない、ひとりもいない。」(『ローマ人への手紙』)というように、肉による行いからは何一つ正義は出てこない。正しい道は、神を見出して神に従い、肉を滅ぶべきものとしてかえりみずに霊を正しく神に向けることである。神を信仰すれば、霊だけが神の子として救われる。「信仰によって義とされる」(同)のである。そのとき霊は奴隷でなくなる。セネカや孟子とは別の道で、確信を持って生きることができる。いやもっと言えば、信仰の義によって死ぬことすら恐れないようになるのである。今の苦しみなど、永遠の命、永遠の勝利に比べれば言うに足りないではないか。地上の栄光もいらない。地上の快楽もいらない。要するに肉の喜びはいらない。パウロは深く自分以外のものに正当な根拠を求めた宗教者である。
パウロについては稿を改めてまた書こうと思うからこのぐらいにして、同様に自分の罪を厳しく責める考えが古代中国でも墨子によってなされていたことを指摘しておく。
墨子の門で学ぶ者がいて、墨子に言った、「先生はつねづね『鬼神は明知で禍福をよく人にもたらし、善をなす者には福を与え、悪をなす者には禍(わざわい)を与える』とおっしゃいます。私は先生にこれまで長いこと仕えて一生懸命やってきましたが、いまだに福にありつけません。ひょっとして先生は私をたばかられましたか?鬼神は明知でも何でもないのではないですか?私はどうして福にありつけないのですか!」
墨子は言った、
墨子「君が福にありつけないといっても、どうして私の言ったことがまちがっているといえる。どうして鬼神が明知でないといえる。君は、刑徒をかくまう罪があるのを聞いたことがあるか?」
門人「いえ、聞いたことがありません」
墨子「今、ここに人がいるとしよう。彼は君の十倍の仕事をする。さて、君は彼を自分の十倍たたえて、自分を十分の一のものとみなすことができるか?」
門人「いえ、できません」
墨子「今、ここに人がいるとしよう。今度は彼は君の百倍の仕事をする。さて、君は彼を一生涯たたえつづけて、自分を取るに足らない無価値な者とみなすことができるか?」
門人「、、、できません」
墨子「一人の刑徒をかくまっても罪があるのだ。今、君は自分自身をそんなにも大事にかくまっている。その罪は重い。なんで福を求める資格が君にあるのか?」
(『墨子』公孟篇)
墨子の思想は天帝と地上の人との間に禍福をもたらす「鬼神」の存在を強調する。社会全体の利益を考えて行動するよう強く主張するのであるが、こうして良い行いには福を与え悪い行いには禍を下す鬼神を想定せざるをえなかったのである。天国での報いがない以上、これは致し方がない。だが、現実には良い行いが報われるとは限らない。だから、上の引用のように、自分の中の利己心を徹底的に責め立てて「わずかでも利己心があれば福は来ない」と断罪するのである。
だが、これは明らかにおかしい。利己心があるから福を求めるのではないのか?
結局鬼神を想定しながらも、それによって利益を受けるのは社会全体、いやもっといえば未来の千年王国の住人であって、自分ではない。こうして、パウロが神に求めた正義を未来の人々に求めるのが、墨子の思想となる。コミュニズムとまったく同じ考えである。墨子もまた自分以外のものに正当な根拠を求めた宗教者であったが、その方向はパウロと違う。
これはちょっと乱暴な意見かもしれないが、パウロのように神にだけ正義を求めていれば、たとい教団が逆境でも信仰は続けられる。地上の動向は正義に関係ないからだ。だが墨子のように天下に正義を求める教えは、天下に正義がいつまで経っても行われない逆境においては信仰を続けることが難しい。地上での目に見える結果が全てだからだ。ましてや地上の人がだんだん振り向いてくれなくなり、教団が逆境になり始めるとどうしようもなくなる。戦国時代あれほど大勢力だった墨家集団が前漢時代にはきれいさっぱり消滅したのは、何も秦による弾圧だけではなかろう。天下が統一されてとりあえず戦争はなくなり、しかも自分たちの理想とは違う形の統一となって、もはや信仰の根拠を失ったのだ。地上的な発想が強い中国では墨家は生き残る術はなかった。いや、彼らが勝利しなかったのもほんの歴史の偶然だったのかもしれないが。もし墨家が勝利していたら、中国は今ごろキリスト教かイスラム教社会になっていたのかもしれない。
一方孟子の儒教は生き残って、法家、仏教、道教も押しのけて大陸で勝利した。その主張はこれまで見たように西洋のストア哲学とだいたい似ているのであるが、ストア哲学が個人への教えにとどまったのに対して儒教は社会システムの教えまで用意していたので、国家と癒着して勢力を保つ道を得た。だがそれとは別の要因として個人の修養を重視する、個人に立脚した教えであったために逆境にも信徒が強く巧みに生き抜くことができる思想だった面も、あるいは勝利の要因としてあったのかもしれない。
(2005.10.21)