盡心章句下
三十一
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孟子曰、人皆有所不忍、達之於其所忍、仁也、人皆有所不爲、達之於其所爲、義也、人能充無欲害人之心、而仁不可勝用也、人能充無穿踰之心、而義不可勝用也、人能充無受爾汝之實、無所往而不爲義也、士未可以言而言、是以言餂之也、可以言而不言、是以不言餂之也、是皆穿踰之類也。
孟子は言う。
「人間たるもの、誰でも他の人間に対して放っておけない心があるものだ。その心を、今放っておいているものにまで届かせれば、それが仁なのだ。また人間たるもの、誰でもやってはならないと思う心があるものだ。その心を、今やっていることにまで届かせれば、それが義なのだ。人間は、人を傷つけたくないという心を十分に広げることができるならば、もはや仁の心は汲めども尽きぬようになる。また人間は、こっそり盗みをしてはならないという心を十分に広げることができるならば、もはや義の心は汲めども尽きぬようになる。人間は、他人から『貴様!』などと侮りの言葉を吐きかけられるような行いを十分に謹むことができるならば、その進むところで不義となることは決してなくなる。士たるもの、言うべからざることを言うのは、いわば言うことによって不当な利益を得ることである。また言うべきことを言わないのもまた、言わないことによって不当な利益を得ることである。これらは、こっそり盗みを働いているのも同然なのだ。」
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公孫丑章句上、六のリプライズである。本章では仁と義に絞って、さらに詳細に論じられている。内容については、読むだけで理解できるであろう。
しかしながら、墨家に言わせれば儒家は言うべきときに言わない連中である。儒家は君主が自ら腰を低くして求めなければ、非礼とみなして心から返す必要はないと考える。墨家はそれを批判する。儒家は本章で述べられる仁と義に加えて、他者との関係を作る社会的ルールである礼もまた重んじるのである。そこが儒家の成熟した倫理観であり、言い換えれば全てを無条件に投げ出さない卑怯な保身術である。
(2006.04.13)