伝統的な行事・文物を保存すべきだ、という孟子の主張は、先輩孔子と同じである。孔子の高弟の一人で合理主義的な子貢が告朔(こくさく。魯国で行われていた、毎月一日を宗廟に告げる儀式)で使ういけにえの羊を無駄だから廃止しようとした。それに孔子が答えていわく、「子貢よ、お前はいけにえの羊が惜しいのだろう。だが余はその儀式が損ねられるのが惜しい。」(論語、八佾篇「子曰、賜也、汝愛其羊、我愛其礼」。「佾」は、にんべんの右に「八のしたに月」。論語の篇名までがないシフトJISって、いったい伝統文化を何と、、、)
だが、孔子はいにしえの儀式そのものを保存せよと言うことだが、孟子は過去のモニュメントはシンボル的なものとして残しておけと言っている。孟子の方がより政治的で、伝統への醒めた視線である。
本章前半は仁政の基礎が家族にあることを強く説いている。家族は儒教イデオロギーの社会秩序で「他人に配慮する」道徳の最小単位なので、鰥・寡・孤・独のひとりものたちは愛を受けられない最もあわれな者たちとみなされる。したがって仁の心を持った政治は最優先でこれらのものを救わなければならない。近代的な「所得と学業の援助をするべきだ」という観点だけからの主張ではない。道徳の問題として主張されている点に留意しなければならない。さらに家臣に封禄を世襲させるのも、家族の維持という観点から肯定される。もっとも後の中国は科挙制度を完備させて、官位の世襲を認めない制度に移っていった。科挙は一方で合理的な人材リクルートのシステムであり、もう一方で貴族を形成させず皇帝独裁を裏打ちする良くも悪くも完成した制度であるが、儒教本来の道徳からはどうやら外れているようだ。
本章後半は再び「偕(みな)と楽しむ」論の展開であるが、どうも宣王の言っていることと孟子の言っていることにはずれがあるようだ。宣王が言っているのは個人の蓄財欲であり個人の色欲だ。孟子の言っていることは公的な財政管理であって倫理的な夫婦愛だ。「色欲を夫婦愛に転化して仁の模範を示せ」というのはまだ筋道として成り立つだろうが、「蓄財欲を財政管理に転化して仁の模範を示せ」というのは論理をすりかえていないか?
ここに、王室財政と国家財政が分離していない古代中国の実情が見て取れる。マックス・ウェーバーならば、これを「家産制」 Patrimonialismus と言うだろう。イデオロギーのみならず、国のシステムまで君主を親、人民を子供とする一種の家経営として行う制度だ。古代ではこれは世界中の社会であたりまえだったが、中国では二十世紀まで続いた。いや、蒋介石や毛沢東が国家の資源を鶴の一声で動員できるところなどを見ると、二十世紀でもまだ続き、ひょっとしたら今でもその残滓をぬぐい切れていないのかもしれない。
ここでちょっと触れておきたいことは、儒教にはキリスト教のような「天国に宝を積む」ために寄付を行う、というチャリティーの発想が全く欠けていることである。聖書には、こういうくだりがある。
イエスは彼に言われた、「もしあなたが完全になりたいと思うなら、帰ってあなたの持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に宝を持つようになろう。そして、わたしに従ってきなさい。」、この言葉を聞いて、青年は悲しみながら立ち去った。たくさんの資産を持っていたからである。
それからイエスは弟子たちに言われた。「よく聞きなさい、富んでいる者が天国にはいるのは、むずかしいものである。また、あなたがたに言うが、富んでいる者が神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通る方が、もっとやさしい。」
(『マタイによる福音書』より)
イエスは実にここまで富者を脅すのである。しかも、「右の手でしていることを左の手に知らせるな」と言って、地上の他人からの賞賛も期待するなという。強烈な命令である。一方儒教には人の上に立つ立場に応じたことをしろ、と説くにとどまる。ここで君主の地位を抽象的な「国家」にすりかえれば、国が貧者の福祉を可能な限り見ろ、という福祉国家への待望に簡単に変わる。欧米で自由放任主義の支持が昔から強いのには、上の富者に対するイエスの脅しが裏にあるからだ、というのは言いすぎであろうか。富者にはすでに、神から自発的に税金を支払う命令が出ているのである。自由放任主義を特に強く支持するアメリカとイギリスで、災害などに対する巨額のチャリティー合戦などが行われたり、企業が地域や恵まれない人への奉仕活動に必死だったりするのは、俗化されているとはいえキリスト教のチャリティー精神が社会的倫理となっているためであろう。ところで日本人はチャリティーの伝統についてはどうもないようだが、他方ボランティア精神については他のアジア社会に比べておそらくずばぬけて高い。私はこの理由として、日本人には他のアジア社会と違って「個」が成立していて、「惻隠」の心(公孫丑章句上、六)をただの一匹夫でも不特定多数の人に及ぼさなくてはならないという心理的傾向を持っているためであると考える。これは儒教の想定と違う心のあり方であり、むしろ墨家思想に近い。これらの点については、また後に考察してみたい。
蓄財欲はこのぐらいにして、次に色欲を論じた点に移ろう。ここで孟子は古公亶甫の伝説を出して、彼の姜氏に対する熱愛が人民を感動させたとしているが、孟子自身は全編を通じて男女の愛を重視しているように見えない。これは先輩孔子も同じである。それどころか後世でもやはり男女の愛が人間として何よりも重要であるというような主張はなかなかされなかったようだ。清代の小説『紅楼夢』ぐらいだろうか。
だがその事情は日本でもあまり変わらないようだ。阿部謹也氏は「ヨーロッパで恋愛がいつ成立したか」という問題について論じている。12世紀だと言う。この頃「宮廷風恋愛」 amor curtois の考えが成立した。男が女を尊敬し、純粋で高貴な愛を男女が交わすことが美しいという考えが詩人によって歌われるようになった。ワーグナーの楽劇で有名なトリスタンとイゾルデ Tristan et Isseut の悲恋物語はこの時期から形成され始めた。またアベラールとエロイーズ Abélard et Héloïse の恋愛事件もこの時代だ。その上で、このように論じておられる。
また、トリスタンの話や、アベラールとエロイーズの話は、その一つの実例として、個性的な女性が、この時期にはすでにはっきり現れているという意味で注目すべき存在だというふうに言えますし、そして、また個というものが生まれてくる背景に、聖なるものが非常に大きな意味を持っていたということもいえると思います。
日本の場合はくり返しお話ししましたように聖なるものとの関係のなかで個が生まれるというよりは世間との関係のなかで個が生まれてきます。その世間に対して、世間向けの言葉と世間向けの行動ができるようになったときに、大人とみなされる。それができないあいだは子供だとみなされるわけです。うそがつけるようになる。「うそ」という言葉はちょっとどきついですが、自分が本当に考えていることを言わずに、世間ではこういうふうに言ったほうが通ずるということがわかってきて、自分が本当に考えていることを言わないで、世間向けの発言や態度をとるようになったときに日本では大人とされる、と言えると思います。
このようにして日本の個が形成されるわけです。世間は、実は人と人の関係の輪ですから、ネットワークといってもいいでしょう。さまざまな多様なものですね、実にあいまいです。個というものもあいまいな形で形成されざるを得ない面があって、そのあいまいさというものが和を生むときにはたいへん役に立つし、個性を発揮しようということになればたいへん弱いということにもなりかねない。
こういうなかで、唯一男と女の愛というものが、もし本当の意味で実現するとすれば、そこには日本の世間との関係の中のような、あいまいな関係の中での自己形成ではなくて、たぶん絶対的な関係の自己形成もありうると思うんですね。
だから、今後日本の世間をどういうふうにしていくかということを考えるときに、社会的にどういう政策が必要かということよりも、やはり男女の愛がもっと対等な関係の中で展開できるようになれば変わっていくということも言えるのではないでしょうか。
(『ヨーロッパを見る視覚』岩波セミナーブックス、185 - 186ページ、赤字は鈴元)
結局、聖なるものとの関係で個人を析出せず、世間に配慮して世間から見られる関係で自己を形成していく日本人の心のあり方からは、男と女が一対一で向き合った恋愛は展開し切れない、と言っておられるのだ。私がこれまでで何度も言及した北東アジア人の心のあり方と、中国や日本での恋愛物語の貧困とが阿部氏の言を通じて重なってくる。
日本には近松がいるじゃないか、と言うかもしれないが、『曽根崎心中』のお初・徳兵衛も『冥土の飛脚』の忠兵衛・梅川も、話が始まったときにはもう恋仲になっている。そしてそれが世間に抗ったためにあるいは心中あるいは逃亡するわけだが、西洋の恋愛物語で一番肝心な男と女が恋に落ちていく恋愛ゲームが書かれていない。男と女が個と個として向き合っていないのである。
もっと言えば日本は王朝時代に恋愛ゲームを描く小説『源氏物語』まで生み出したのに、12世紀に武家支配が成立して今に続く日本社会の原型ができあがったや否や、恋愛物語は書かれなくなった。思うに、この頃に日本人は「他人に配慮する心」を至上善としてはっきり認識し始めたのではないのだろうか。同時期に西ヨーロッパが聖なるものと直結する個人を至上善としてはっきり認識し始めたのと歴史的に並行して。そしてこの時期から『論語』や『孟子』を日本人が読みこなせる素地ができあがったのではないだろうか。『徒然草』の吉田兼好も −老荘思想とちゃんぽんで読んでいるが− 『論語』を道理を論じた書の一つとして仏教書と共にしばしば引用するのである。
日本、中国、韓国などでどうやって「個」を析出すればよいのか、どうやって「市民」をつくり、「恋愛」を成立させればよいのか、ということは今でも各国で論じられつづけているのだろうし、あるいはせっかちな日本の論者の中には「もはや若者の中では世間はなくなって個が成立している」と主張するものもいるだろう。だが、そんなことは学生運動華やかなりし時代にも言われていなかったか?明治の自由民権運動の時代にも言われていなかったか?おそらく我ら北東アジア人の中には「他人に配慮する心」が至上善として組み込まれている。これをこそげ落として欧米的な個を至上善として据え付けるのは、明治維新よりもGHQ改革よりも、あるいは難しいのではないだろうか?絶対神の宗教への信仰の時代をくぐり抜けないで、そのような変身ができるのだろうか?これ以上は私にとって言える範囲を超えている。
少々駄言をひとつ。90年代後半以降ポップカルチャーの無視できないジャンルになった「恋愛シミュレーションゲーム」は、確かに恋愛のプロセスをゲームの最重要の要素として中に盛り込んでいる。そしてそれらのゲームは(私の知っている乏しい範囲の知識ではあるが)例外なく男女関係以外の社会的関係を全く捨てたストーリー作りをしている。これは新傾向であろうか?あるいはそうかもしれない。だが気になることがある。それらのストーリーはたしかに恋愛のプロセスを描いている点で、近松よりは一歩前に行っている。だがその代わり近松が鋭く認識していた「義理人情」すなわち社会との緊張関係を、ないものとして世界を作っている。もし本当に「世間」が解体して、個と個の恋愛が社会を勘定に入れる必要が今後なくなるのならば、それらの描く世界は全く正しいということになる。しかしそれがなくならないのならば、すなわち相変わらず「他人に配慮する心」が社会の善として考えられつづけるならば、それらは恋愛をゲームのモチベーションにしただけの、本質はファンタジー系ゲームと変わらない別の世界の物語でしかないということになる。(ゲームではないが、90年代に一世を風靡したアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』で、監督の庵野氏はいわゆる「ヲタ」的な閉じた世界から開こうとした試みを行ったが、それはユーモアのない悲壮なまでの切迫感と緊張感に包まれたものであった。それを見るとき、「ヲタ」的世界もまた内部で完結できておらずに外との関係を忘れたふりをしているだけで、いったんそれを意識に上せたならば結局近松流のユーモアがなくストレスしかない社会との緊張的関係に入り込んでしまうのか、という印象をぬぐい切れない。)
(2005.09.19/2005.09.20加筆)