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公孫丑章句上





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孟子曰、尊賢使能、俊傑在位、則天下之士、皆悦而願立於其朝矣、市廛而不征、法而不廛、則天下之商、皆悦而願藏於其市矣、關譏而不征、則天下之旅、皆悦而願出於其路矣、耕者助而不税、則天下之農、皆悦而願耕於其野矣、廛無夫里之布、天下之民、皆悦而願爲之氓矣、信能行此五者、則鄰國之民仰之若父母矣、率其子弟、攻其父母、自生民以來、未有能濟者也、如此則無敵於天下、無敵於天下者、天吏也、然而不王者、未之有也。

孟子は言う、
「賢明の者を尊び有能の者を用い、秀でた者がしかるべき位にいれば、天下の士(一般家臣のことだが、この場合は「国のために働く心ある人々」という意味)は歓喜してその朝廷にはせ参じたいと願うだろう。市場に対しては店舗税だけに留めて取引税を取らず、店舗税は法定の税だけに留めるならば(*)、天下の商人は歓喜してその市場で荷揚げしたいと願うだろう。関所では検査だけに留めて課税しなければ、天下の旅行者は歓喜してその道路を使いたいと願うだろう。耕作者には公田を与えて私田に課税しなければ、天下の農民は歓喜してその田野を耕したいと願うだろう。居宅に夫・里の布(住民税と固定資産税)をかけなければ、天下の民は歓喜してその国に帰化したいと願うだろう。まことによくこの五つの政策を行えば、隣国の民までもがその君主を父母のように仰ぎ見ることだろう。いったい自分の子や弟を率いて父母とも思う人を攻めることなど、人類発生このかた、まだよくそれを成した者などいない。このようにすれば、天下無敵である。天下無敵の者は、これ天吏すなわち天の使わした役人である。このようにして天下の王にならなかった者は、いまだかつていない。」

(*)原文「法而不廛」。小林勝人氏はこれを衍文(えんぶん。間違って入った文)だろうとみなしておられる。「廛」とは店舗税のことで、「法を敷いて店舗税を取らない」と訳したら前の文と矛盾する。そこで、「限られた市場の敷地の適正な配分のために法定店舗税だけは取るが、それ以上にむやみに課税はしない」とあえて解釈してみた。

天下の王となるための五策である。心の分析が主要なテーマである公孫丑章句の中に、このような具体的な政策提言が混じっているのは、少々不自然だ。むしろ梁恵王章句や後の滕文公章句にあった方がすっきりした。

ここで孟子が想定する、「仁者が仁政によって人々をひきつけて天下を取らせる」というストーリーは、古代ギリシャ人のこのような国家についてのイメージと全く違う。

「それでは」とぼく(ソクラテス:引用者)は言った、「ひとが同じ名で呼ぶものは、それが大きなものであれ、小さなものであれ、同じ名で呼ばれるちょうどその点に関するかぎり、似ていないだろうか、似ているだろうか?」
「似ています」と彼(グラウコン:引用者)は答えた。
「すると、正しい人も正しい国家にくらべて、その〈正義〉という特性に関するかぎりは少しも異なるところがなく、似ているといことになるわけだ」
「似ていることになります」と彼は答えた。
「しかるに、国家が正しい国家であると考えられたのは、そのなかに素質の異なった三つの種族があって、そのそれぞれが自己本来の仕事を行っているときのことであり、さらにまた、それが節制を保った国家、勇気ある国家、知恵ある国家であるのも、同じそれらの種族がもっている他の状態と持前によるものであった」
「そのとおりです」と彼は答えた。
「してみると、友よ、個人もまたそのように、自分の魂のなかに同じ相した種類のものをもち、それらが国家における三種族(守護者、戦士、商工人:引用者)と同じ状態にあることによって(三種族がめいめい自分の義務を行って互いに越権しないこと:引用者)、当然国家の場合も同じ名前で呼ばれてしかるべきことになると、われわれは期待しなければならないだろう」 「ええ、どうしてもそういうことにならざるをえません」と彼は答えた。

(中略)

「さあそれでは」とぼくは言った、「われわれの一人一人の内には、国家のなかにあるのと同じ種類の性格と品性があるという、これだけのことならば、われわれとしてどうしても認めないわけには行かないのではなかろうか?なぜなら、国家がもっている性格は、それ以外のところからは出てこないはずだからね。じっさい、気概的な性格が国家の中に生じるとした場合、それが、げんに気概があるという評判のあるその個々の成員 ― たとえば、トラキアの人たちやスキュティアの人たちや一般に北部の地域の人々はそういう評判を得ているが ― そういった個々の住民の性格から由来するのではないと考えるとすれば、おかしなことだろう。あるいは学を好む性格についても同様で、ひとはきっとわれわれのところの地域に対して、とりわけこの声価を与えてくれるだろうがね。あるいは金銭欲の場合も同様であり、これはフェニキア人たちやエジプトの人たちが少なからずそうだと言われるだろうが」
「ええ、たしかに」と彼は答えた。
「だからこの点に関するかぎりは」とぼくは言った、「事実はたしかにそのとおりなのであって、それを知ることは何も難しいことではないのだ」
「ええ少しも」

(プラトン『国家』第四巻より、藤沢令夫訳。赤字は原文では傍点)

プラトンは国家の構造と個人の魂の構造にアナロジーを見出す。すなわち魂に「理知的部分」と「気概的部分」と「欲望的部分」があり、三つの部分が理知的部分の指導のもとに調和を保っているのが正しい魂のあり方だと言うのであるが、それと同じことが国家にもいえると言うのである。「理知的部分」とはよく判断する能力、「気概的部分」とは進み出て戦う能力、そして「欲望的部分」は肉体の欲求である。そして魂が敵に進み出て戦うことと国家が敵に進み出て戦うこととは同じと考える。

ここには明らかにポリスを構成する市民は団結するのが当たり前だという前提がある。そのような「気概」 ― これが近代になって「友愛」fraternity(英)、fraternité(仏)、Brüderlichkeit(独)として見出され、ナショナリズムにつながる ― が国家の不可欠の要素であると、プラトン的思考はみなす。国家の構成員にはもともと「気概」があるから、後は内部構成の合理化に専念すればよいのである。かくしてその主権者は市民を指導すべき知力を備えた president でいい。前にも言ったが、 president は企業のトップならば「社長」と訳され、国家のトップならば「大統領」と訳される。

孟子は全く違う考え方をする。そこには「気概」を持って守るべき国家など前提にない。だから、君主はその人間的愛によって士、商人、旅行者、農民、そして外国人をひきつけなければならない。彼らはいわばコスモポリタンである。よい君主のいる国に、定住的傾向が強いはずの農民ですら移住するという(梁恵王章句上、三)。逆に、君主が仁の人でなければ、人民が命を賭けてまで国を守ろうなどと考えはしない。人民はこれはという人のために戦うのであって、国のために戦わないのである(梁恵王章句下、十三および十五参照)。

この東西二人の思想家の国家観は、古代から現代に至るまで通して流れ続ける、理想の人間の集団に対する考え方を対照的に示しているといえるだろう。古代に通用することは、現代にもそのまま通用するものであるに違いない。プラトンの想定は現代の国民国家に続く。それは愛国心に裏打ちされるべきとされる。孟子の想定は形を変えて現代のグローバル・ソサエティーに続く。それはよき施策をなした政府(企業)に国を越えて人が集まっていく。ただし現代のグローバル・ソサエティーでは豊かさと自由の徳だけが人をひきつける要因として強調されるが、孟子はむしろ仁愛心(仁)、国内と国外に向けた公正さ(義)、それに礼儀文化の美しさ(礼)といった徳を、人をひきつける要因とみなしているようだ。

現代が古代と違うところは、現代は明確に「個」が析出していることである。現代人が「個」を意識するようになったとき、心の中にさきほど言った「友愛」への渇望が生じる。

友愛が、それまでの家族、部族、エスニックなどの共同体、あるいは宗教的な共同体における連帯と違って、それらが崩壊したあとの個人によって見いだされるものだろいうことです。「友愛」 fraternity は、それ以前からあるものとは異質です。先に、私は、「自由」と「平等」が人間と人間が媒介的にしか関係しないような形態において生じるといいましたが、「友愛」は、まさにそのような諸個人の間に生じるものであり、また、人間と人間の「直接的な」関係あるいは共同体を想像的に実現しようとするものです。

(柄谷行人『自由・平等・友愛』より。講談社学術文庫『〈戦前〉の思考』所収)

「友愛」は「自由」「平等」と並んでフランス革命の三大テーマだったが、革命でかかげられた「友愛」は同志愛のようなもので、必ずしもナショナリズムに直結しない(フランス国歌『ラ・マルセイエーズ』 La Marseillaise には、よく同志愛のありかたが表されている)。だが、フランスにおいても、隣国ドイツにおいても、「友愛」はすみやかにナショナリズムに転化した。ばらばらの個人が望んでやまない他人との「友愛」が組織されたものがナショナリズムであるといえよう。そしてその組織が頂点に達すると、それはファシズムと言われる。同じ国民だからという「友愛」で各人の行動をすべてしばりつけたいという衝動である。だから、ファシズムは「個」が析出した社会でないとおそらく成立しない。そして、ファシズムは過ぎ去った時代の産物などでは、おそらくない。

だが、孟子の生きた戦国時代もまた、古代なりに「個」が析出した社会だったのではないか。プラトンの時代のアテナイや孟子の時代の中国では、それまでの前時代とは違ってかなり共同体への帰属感から離れた「個」が次第に意識されはじめていたのではないだろうか。そのときプラトンは改めて「気概」に守られ「理知」で運用される理想のポリスを思い描き、孟子は他人をひきつけて動かすアトラクターとしての理想の人間を思い描いた。

一方で孟子の時代には、墨家が個人をあえて社会全体のために奉仕させ埋没させる思想を展開した。墨子の主張する「兼愛」は無差別の隣人愛であるが、墨家集団の利他心を現実に支えたものは、まさに天下の人への「友愛」への渇望だったのではないだろうか。「友愛」は、ばらばらとなった個人があえて他人に見出し渇望するものだ。墨子が戦国時代に多数の信徒を獲得して大集団となったことは、戦国時代にある程度「個」が析出されていたことと矛盾しないのではないだろうか。中国にはギリシャのようなポリス共同体がないから、「友愛」は教団となって実現する。そして、孟子の墨家への断固とした対決姿勢の奥底には、個人を全体の善に引きずり込む墨家思想の傾向に対する反発があったのではないだろうか。

「天上の父なる神から各人は等しく不可侵の魂を付与されている」というキリスト教的(というかむしろプロテスタント的)な想定がない北東アジア社会では、いったんばらんばらの個人が析出すると、きわめて容易に社会全体への利他心に善の根拠を見出すはずだ。そうして「世間への配慮」が至上の道徳となる。「友愛」への衝動が善によって根拠付けられる。日本人が世間を気にするのは何も「個」がないからではなくて、「個」がはっきり成立しているのだが善の根拠を他人にしか見出せないからではないだろうか。だから常に世間の動向を気にして全方位的にきょろきょろおろおろする態度が、まぎれもなく「善意」でなされる。きょろきょろおろおろするのは、「個」の自意識があるからだ。「個」の自意識がなければ、自分のやることに迷うことなどしない。

孟子のあくまでも個人の向上を目指し、自分の中に他人に開かれた心があることへの確信に善の根拠を見出す主張は、北東アジア社会的な善感覚の中で、しかも戦国時代というある程度「個」が析出した時代状況の中で、エリートの自意識に正統な根拠を与える道を説いたものだと解釈されないだろうか。それは大衆とエリートをはっきり区別する差別思想である。同時に他人に直接善の根拠を見出して「友愛」の名のもとにファシズムに引きずり込まれる傾向に抵抗する、一つの倫理的態度でもある。

これは私の今時点での思いつきにすぎない ― そう思って聞いていただきたい ― のだが、よく比較文化論的に言われる日本人と中国人・韓国人の倫理的態度の違いは、彼らが儒教をシステムとして体化したのに対して日本は本で読んだだけだったという理由だけではなくて、その奥底にあるものは、日本社会が不思議なことに「個」を析出する社会を歴史上どこかの時点でスタートさせた、それだけのことにすぎないのではないかと思うのである。つまり、歴史上のいつかの時点 ― 私は十二世紀だと思う ― に、日本人は目の前の人に配慮するだけの個が埋没した状況からテイクオフして、「私は一個人として目の前にいない人にも目の前の人と等しく配慮すべきだ」という(自然的感情からいえば不自然で不思議な)発想が始まったのではないだろうか。その発想があるから、遠隔地為替を組むような「ルールに基づいた」商業が芽生え、源頼朝や北条一族に見られるように「親しい身内よりも天下の公正が大事」という政治道徳が自生えで(!)発生し― 北条一族はだんだん私事におぼれるようになるが、結局それが彼らの命取りとなる ― 、誰にでも聞かせるべき普遍的宗教への思索がスタートし、誰が参加してもよくしかも無限に続くべき「開かれた」芸能としての連歌の着想が得られたのではないだろうか。一方中国は個が析出する機会がついになく、韓国はあるいは李朝時代に儒教イデオロギーの強化によって抑圧されて、「目の前にいる他人」の主君、親、親類に配慮する儒教本来の道徳が堅持されたのではないだろうか。だから、韓国や中国でも都市化がこれからどんどん進んでいやおうなしに「個」が析出されれば、日本と似たような状況が発生するのではないだろうか?つまり、世間に対する違和感に悩みながら、さりとて世間の他人にしか善の根拠を持てずに釈然とせず生きる人々が、やがて現れるのではないだろうか、、、?

(2005.10.19)




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