恵王が死去した(BC319年?)。後を継いだ襄王は形に威厳がなく言動に意欲が乏しく、孟子は新王に見切りをつけて魏の国を去った。司馬遷の『史記』では孟子はまず斉に行ってから後に魏に赴いたとしている。これは現行の『孟子』の梁恵王章句の叙述と反対だ。私は専門家ではないので判断ができないが、岩波文庫『孟子』の訳注者の小林勝人氏は、司馬遷の時代以降に発掘された魏の年代記『竹書紀年』の叙述と照らし合わせた結果、『孟子』の叙述のほうが正しくて『史記』は資料整理のミスによる誤りだと考えている。ここではいちおう小林氏の論考に従って、この梁恵王章句の叙述がそのまま孟子の遊説順序であるとみなしておく。
司馬遷の先秦時代の記録の整理ミスの問題については、尾形勇氏・平セ隆郎氏共著の『世界の歴史2 中華文明の誕生』(中央公論社)に非常に詳しい。
孟子は仁義の道を天下の実力者に取らせるという大目的を確信してるから、これはだめだと思った君主からはサッサと立ち去る。孟子は君主に対してそんなに優しくないのである。この辺は先輩孔子を意図的にまねているとも考えられる。こういった態度について、かの吉田松蔭は『講孟箚記』の冒頭で厳しく批判している。つまり、天下を良くしようとして国を去るのは国を治めようとして自分自身の修身を怠るのと同じだ。中国の臣はしょせん職場を転々と渡る半季雇いの労働者にすぎず、日本の先祖代々仕える譜代の臣がこれにならってはならない、と。
諸葛孔明が愛される日本の風土である。吉田松蔭の批判ももっともだろう。だが孟子は、周王朝があってなきがごとくにまで衰え、新興国が我こそは新時代の開拓者なりと軍事にも経済にも政治思想にも最新最適のものを求めて鵜の目鷹の目だった時代に生きていた。戦国時代はまた、経済活動が空前の活発さを見せて大都会が各地に勃興し、思想でさえ各派が団体を組織して売り込みを行う大競争時代でもあった。そういった近代にも似た時代で思想のプロフェッショナルとして生きた孟子は、吉田松蔭の生きていた幕末とは時代条件が全く異なる中で、その時代流に真剣そのものであったと、私は思いたい。私はむしろ孟子の思想家としての姿勢を、ヨーロッパ近代の絶頂期に生きた共産主義者マルクスのそれに近いと感じるのだが。
それはともかく、孟子は君主といえども人を動かすのは力や権威ではできない、と考えていた。まずもって他人を愛し、仁の心を示さなければ下の者は心から服さない。ましてや天下の役に立つ人材を求めようとするならば、腰を低くして最大限の誠意と敬意を相手に示さなければならない(公孫丑章句下、二)。君子というものはプライドが高いから、そこまでしなければ心から尽してくれないのである。どんなマクロな政策問題でも、携わる人材が最大限の力を出さなくては成るものも成らず、そのためには君主自ら動いて人を信服させる必要がある、という孟子の主張なのだ。その上に、君主は招いた人材に対していちいちああしろこうしろと指図してはならない、それは道を学び行おうとする者ならばなすべきことをきちんと理解しているからだ、とも説く(梁恵王章句下、九)。
ここまで来ると現代の企業経営とあまり変わらなくなってくる。だが決定的に違うことは、孟子は人間の根本善の中に「義」と「礼」を想定していることだ。すなわちあるべき社会秩序への崇敬心と目上の者への謙譲心とが人間の心には備え付けられていると考える。そこから目上の者には本来的に敬意を表すべきであって、それに対して君主が仁の心で応えなかったときにはじめてどう行動するのが正しいか心に聞け、という筋道となるであろう。吉田松蔭ならば、死諌すなわち腹かっさばいて自分の命とひきかえに君主に反省を促せ、と言うだろう。それは先ほども言ったように日本の君臣は先祖代々の譜代の関係であって、聞き入れられないからといって君主の元を去るのは許されないからだ。
だが、孟子じたいはおそらく君主と臣の関係を「双務的」なものと考えていたはずだ。いわゆる「君、君たらずとも、臣、臣たらざるべからず」といった「片務的」なものではない。臣は上に忠誠を尽すが、反対に君主は下に仁の心を示さなければならない。商業経済も一応理解していた孟子は君臣関係は大きな意味でギブアンドテイクだと考えていたのであろう。だから聞き入れられなければサッサと去るというオプションも否定しない。自分が心から君主のために良い仕事ができそうになければ、己の心と相談して出した判断として、それもまたやむをえないのである。その意味で、このストア派哲学者の言葉に、孟子の臣道はかなり近くなる。
Indeed the mind responds but poorly when forced: when nature resists, labor is useless.(英語訳)
心というものは無理強いされると悪く反応し、その本性に逆らうならば、仕事は台無しとなる。
(セネカ『心の平静について』 On tranquility of mind より)