離婁章句下
三十四
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齊人一妻一妾而處室者、其良人出、則必饜酒肉而後反、其妻問所與飲食者、則盡富貴也、其妻告妾曰、良人出則必饜酒肉而後反、問其與飲食者盡富貴也、而未嘗有顯者來、吾將瞯良人之所之、蚤起、施從良人之所之、徧國中無與立談者、卒之東郭墦間之祭者、乞其餘、不足、又顧而之他、此其爲饜足之道也、其妻歸告其妾曰、良人者所仰望而終身也、今若此、與其妾訕其良人、而相泣於中庭、而良人未之知也、施施從外來、驕其妻妾、由君子觀之、則人之所以求富貴利達者、其妻妾不羞也、而不相泣者、幾希矣。
斉の人で、妻と妾を一人ずつ同じ家に住まわせている者がいた。良人(おっと)は外出しては、必ず酒と肉をたらふく食べて帰って来た。妻が「どちらのお方が飲み食いさせてくれるのですか?」と聞いたら、良人は「いやー、みんな偉いお金持ちの方々だよ!」などと答えた。
さて、妻が妾にこう言った、「良人は外出しては、必ず酒と肉をたらふく食べて帰ってきます。そして誰が飲み食いさせてくれるのかと聞けば、偉いお金持ちの方々に頂いていると答えます。だけど、私はこれまで一度もそんな立派なお方がこの家に訪問してきたことを、見たことがありません。私は一度良人が行くところをこっそり見てやろうと思います。」
というわけで、朝早く起きて後ろからこっそり良人の行く後を追った。しかし街中をうろうろ歩き回るのに、良人は誰とも立ち話しすらしない。とうとう城の東郭(外城の東側)にある墓地に向かい、そこで供養をしている人たちの所に寄って、お供えの余り物にたかり始めた。まだ足りないようで、見回しては別の人々のところに行った。これが良人のたらふく飲み食いする方法であった。
妻は帰って妾に言った、「良人たるものは、我らが生涯仰ぎ見て仕えなければならない人です。なのにこんな有様とは!」こう言って、妻は妾と良人のことをののしり、中庭に出て共に泣いたのであった。しかし良人はそんなことも知らず、大きな顔をして外から帰ってきて妻と妾に得得と自慢するのであった。(孟子は言う、)
「君子から見れば、人が富貴出世を求めるやり方で、このように妻と妾が恥じて泣くようなことをしない者は、めったにいないものだ。」
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ストレートに一夫多妻を当たり前のように書いた章なので、抵抗を感じる人は多いだろう。儒教の婦人道徳はこのように一方的なものである。たとえそれが礼であったとしても、相互的な義務で人間関係を作る性質のものでない以上、現代社会に通じる意義は存在しえないと私は思う。まあ旧約聖書にも一夫多妻の話がふつうに出てくるし、ここはぐっと抑えて昔の時代の話であると考えて検討しよう。
この説話が離婁章句の末尾に置かれているのは、なぜだろうか?離婁章句で説かれた倫理をもう一度繰り返すと、人間は身近な対象に最も情愛を持つものであって、仁の心はそこからだんだんと薄く拡がっていく。そのため、どのような社会的地位に自分がいるかによって、それに応じて義務として責任を持つ対象を大きくしたり小さくしたりするべきである。それが、礼に従った君子の行動なのだ。「仁でなければ何一つ行なわず、礼でなければ何一つ行なわない」(本章句下、二十九)と説かれるゆえんである。
だから、仕官もせず一般人として家族と生活するならば、最も身近な対象だけが周囲にいることになるため倫理的に大変楽である。そのため「家族は私に情愛があるから、何でも許してくれるだろう」と安易に考えてしまいやすくなるだろう。本章は、君子たるものたとえ身近な人だけが周囲にいる環境であっても、正しい道を心に失うなという戒めではないだろうか。つまり、離婁章句の末尾にこの章を置いて、「君子はどんな地位にあっても、周囲にどんな人がいたとしても、心の中をまっすぐにせよ」と主張していると解釈してみたい。家の中の妻と妾はひとつのたとえである。「どうせわかりやしない」と思って表面だけ取り繕っていても、いずれ明らかになって世間からも家族からも見放されるぞ、という教訓なのであろう。何も今週以来騒ぎになっている某社の事件のことを言っているわけではないが。
掌を返したように叩きまくるのは、何とも大衆的現象ではないか、、、なんともはや。例の社長もこれで反論せずにしゅんとしてしまうようならば、新時代の旗手どころかまるっきりの伝統的日本人ではないか。
以上で、離婁章句は終わる。私は、離婁章句は雑多な断章の間に、意外と内容にまとまりのある章を収録していると思う。これまでの章ではっきり述べられてこなかった「人間は実践倫理として誰に優先して配慮すべきか?」という問題が、この章句で集中して開示されている。それは、墨家・キリスト教・近代啓蒙思想・そして現代の学校教科書で教えられる「博愛」の倫理とは対立する「差別愛」である。そしてその差別的な構造に応じた礼に基づいて、人間は倫理を実践することとなる。それはすぐれて現実的な世界観から発しており、また君主や共同体に対する忠誠心といった心の「気概的な部分」(プラトン)に突き動かされた行動を低く評価するものである。
(以下、08.02.29追記)
中国通の一観察者によれば、日本人の責任と中国人の責任は相当に感覚が違うという。
「私は日本人として、無意識のうちに中国人労働者に『まず始めに全体ありき』『組織の一員』という思考を求めていたのだと思います、、、(中略)、、、しかし中国の労働者には『まず始めに全体ありき』『組織の一員』、、、という考え方がありません。」
(原 奈緒『中国調査業界裏話 中国における「責任」とは?(2)』日経BPNETより)
原氏は、どうして中国人が日本人と違う発想をするのか、どうして組織に対する責任感が欠けているのかの理由を、「中国は個人に課せられる責任が重い、『個人』を基礎とした社会」であるからだと、捉えておられる。中国在住歴の長い原氏の観察であり、尊重しなければならない。だがしかし、あえて私がここで『孟子』を読み通して感じた別の視点を開陳するならば、中国人は日本人よりもずっとずっと身近な個人 - すなわち両親であり、兄弟姉妹であり、親類であり、そして朋友(日本人の「メル友」は、孟子の「朋友」などでは断じてない!) - に無条件に尽すべきだという倫理観を、古代以来受け継いでいるのではないだろうか。一方、職場の他人はあくまでも他人であって、倫理的に言って身近な他人より後回しである。それは、孟子のいう「義」の関係を越えることがなく、それ以上の倫理的要請もされない。「義」の関係である王と家臣との関係は、本章句のこれまでで読んだようにドライな契約関係でしかないのである(本章句下、三)。古代の君臣ですら仇か讐になりうるのに、ましてや職場の同僚などにどうして見返りなく奉仕する義務などがあろうか?私は、たぶん平均的な中国人は彼らなりに他人に配慮する心を持っていると思う。しかし、日本人とは大事にする相手が違うのではないだろうか?(特に上海のような大都市では、農村から出てきた都会人一世が大半を占めている。彼らが農村の昔ながらの倫理観をひきずったままで、市民としての公共心に欠けているのは致し方のないことだ。)
孟子ならば、親にろくすっぽ孝行もせず、兄弟や朋友が苦境に陥っていても、妻あるいは夫と子供の水入らずで幸福であれば笑って済ませているような(一部の)日本人は、仁義を知らぬ禽獣の輩(ともがら)であるときっと批判するであろう、、、
次の萬章章句は、再び全章を検討したい。だがその前に脇道にそれて、ジョン・スチュアート・ミルの叙述を読みながら、古代中国でデモクラシーがありえなかった理由は何だったのかを、私なりに少し考えてみたい。
(2006.01.18、2008.02.29加筆)