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盡心章句上



二十一



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孟子曰、廣土衆民、君子欲之、所樂不存焉、中天下而立、定四海之民、君子樂之、所性不存焉、君子所性、雖大行不加焉、雖窮居不損焉、分定故也、君子所性、仁義礼智根於心、其生色也睟然見於面、盎於背、施於四体、四体不言而喩。

孟子は言う。
「広大な土地と多数の人民を治めるのは、君子もまた願うところである。だが、君子の楽しみはそこにはない。天下の真ん中に立って四海の民を安んじることは、君子の楽しみである。だが、君子の本性はそこにはない。君子の本性はどんなに大きく道を行ったといえども加わらないものであるし、またどんなにせまい所に窮居していたとしても減らないものである。なぜならば、天の与えたる天分は決まっているからだ。君子の本性とは、仁・義・礼・智が心にしっかりと根ざされているところにあるのだ。それが外面に現れると、きらきらと顔色に表れ、背中に表れ、手足に表れて見るからに違ってくる。何も言わなくても君子の貫禄が出てくるのだ。」

前の章から続くテーマである。本章では君子の本性をはっきり仁・義・礼・智の四つの徳だと言っている。最後のくだりは君子の貫禄について述べたものである。「後光」とか「カリスマ」とでも呼ばれるものであろう。面白いことに、孟子は後の章で斉の王子にカリスマとでも言うべきものを認めて、王子の地位に居座っていることがその人物を大きくしていると言っている(本章句上、三十六)。現代でも「しかるべきイスに座れば、貫禄が出てくるもんだ」などと評判したりするのと同じである。その主張は一見本章と矛盾しているようであるが、本章はあくまでも君子の主体的な心掛けの側面に光を当てて言っているのであろう。確かに地位によって人物が大きくなったりすることは人間としてあるかもしれないが、少なくとも正しい道を主体的に志す者は、外的な状況によって心を広くしたり狭くしたりしないように心掛けなければならない、というわけである。


(2006.03.17)



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