国家の長である君主は人民の親としての責務と共感を持たなくてはならない、という儒家ならではの主張である。現代の政治家が持つべきとされる使命感と似ているようで違う。現代の政治家は「職業としての政治家」でその責任は国民から信託された権限の範囲内に留まる。つまり「有限責任」(のはず)である。一方儒教的な君主は人民の親として「無限責任」を負う。裏返せば、近代国家の国民は国家の長に対して信託した範囲内でサービスを提供するだけだが、儒教的な人民は君主に子供として敬意と無私の忠誠を負わなければならない(その君主が仁君である限り、だが)
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どちらがよいのか悪いのかは価値判断であろう。おそらく現実の国家はそう簡単に割り切れることがなく、両者の中間のどこかのはずだ。だが孟子は仁義の原理主義者だから、君主にも人民にも仁義の道を完全に適用すべきだと説く。したがって、君主は人民の親、人民は君主の子供とみなされる。戦前の日本で繰り返し説かれた世界観であり、アジア太平洋戦争(私は自分の心と相談して、この用語を使わせてもらう)を経て嘘のようにぬぐい去られた世界観である。あれはいったいなんだったのか。
それに対する問答はここでは置いておこう。孟子はどうして国家にまで家族のモデルを拡大適用したのかということだ。
それはとりもなおさず、繰り返し言うように、人間の本性を「他人に配慮する存在」とみなしていたからだ。その人間の本性から家族の秩序が考えられ、国家の秩序も考えられる。「他人に配慮する」心は誰にも反論できない完全な美徳であるから、それを現実の秩序全体に適用することに過ちはないはずだと考える。孟子は後の章で、目下の者に仁の心をほどこさない君主は君主としての資格がないと言い切る。この辺りを吉田松蔭は字義どおり受け取ってはならない、と論評するのだが、仁義のシステムとして社会を考えるならば究極的にはそこまで行き着くはずだ。仕える以上家臣は最大限の誠意を持つべきであるが、仕えられる君主が義務を免責されているわけではない。孟子は「民を尊しとなし、社稷(国の神さま)これに次ぎ、君を軽しとなす」(盡心章句下、十四)とまで言うのである。やはり吉田松蔭の解釈とは違って、仰がれ尊ばれる目上の者の地位は、「目下のものにとってすなおな礼の心からまず第一に敬うことを心がけるべきであるが、絶対自明ではない。最大限心を砕いて敬っても態度が改まらないならば、親はともかく主君についてはその地位が危ういと心得よ」と主張したかったのではないだろうか。
古代中国には、当たり前だが "republic" という考えがなかった。つまり、ばらばらの個人や家族が任意に社会組織を作るというRe - Public=「もう一度、公共を作る」という発想はなかった(”republic”は「共和国」と訳される)。公共とは人間の本性に備え付けられている「他人に配慮する心」のことである。これを元にして社会システムを作れば立派な"public"ができるではないか、と孟子は考えていたのではないだろうか。ならば西洋はどうしてばらばらの個人や家族があえて"public"を作ろうとすると考えたのか、という問いを立てずばなるまい。ホッブス、ロック、ルソーとこの点については心を砕いた思想を展開したが、この辺については私はとても語る資格がない。だが、孟子については、少なくとも社会の目上の人への盲従を薦めているわけではなくて、もっとトータルな社会システムを想定していたのではないか、と思うのだ。個人的な印象では、韓非子や老荘思想よりももっとラディカルに社会思想を考えていたような気がする。
《追加》M. Y. 様からご指摘があったように、"republic"の本来の語源は"res"(実体)+"publicus (publica) "(公共の)で、「公共的実体」という意のラテン語です。だから上は曲解的解釈ですが、アイディアとしては悪くないと思うのでそのままにしておきます。
(2005.12.06) |
次に、この章の後半について。ハニワなら現実の人を殉死させないのだから別にいいじゃねーか、と思うかもしれない(実際、私は読んでそう思った)。孔子の意図を解釈するならば、たとえ人形といえど土に埋めようとするのは「本当は人を埋めたいんだが、、、」という願望が後ろにある。それは内心殉死をさせたがっているからで、心で他人の命を軽視していることだ。その心に迎合したからハニワを初めて作った者は呪われるべし、と言ったのだろう。秦始皇帝陵の兵馬俑を見れば分かるように、あちらのハニワは日本のようにユーモラスではなくてリアルそのものなのだ。
特に孟子の儒教は、心の曇りのなさを君子の条件として重視する。正義の基準を究極的に己の心の外界に対する誠実さに求めるので、このように心のやましさに厳しい。日本人の「きよきあかきこころ」を求める感情と実は親和性がある。吉田松蔭ら多くの幕末の志士が儒教に傾倒したのも、納得できる。心の正しさを求めるのはキリスト教も同じだが、キリスト教では負い目を感じる対象は天の父で、儒教では地上の他人となる点が違う。