一連の舜の行為に対する萬章の質問が続く。今度は、舜が即位後に弟の象を成敗しなかったという伝説に対する疑問である。萬章はある伝説に「之ヲ放ツ」とあるのはどうしてかと問うた(上の訳では「放ツ」を放置したと訳したが、追放したという解釈もある)。しかし孟子はまた別の説を出して、むしろ弟を封建したと主張するのである。舜が象を封建したのは『史記』五帝本紀にも記載されていることである。
これまでの章でずいぶん検討してきたことだから、どうして舜が自分にとっては逆臣というべき象に領地を与えて優遇したのかはもう明らかであろう。君主といえども人倫の道を外してはならない。いやむしろ、人の上に立つ君主だからこそ、人倫の模範を示さなくてはならないと儒教は考えるからである。しかしそれに対する萬章の疑問は、すぐれて近代的な国家観に通じる視点からのものであった。つまり、「人の上に立つ聖人たる舜は、人民のことを思って人民のために尽すべき存在ではないのか?どうして権力に明かして近親者をえこひいきするのか?一番の逆臣というべき象を弟だからといって許したら、他の者に対する示しがつかないのではないか?」というものであろう。
孟子の視点と萬章の視点との違いは、権力を生の人間の私物と見るかそれともある一定の「共同体」の公共物と見るかの差とも言えるだろう。孟子に言わせれば、「君主には親もいれば兄弟もいるではないか。彼らに配慮して大事にしないような人間が、仁の人と言えるだろうか?」となる。君主だからといって、首相だからといって、社長だからといって人間であることには変わりないだろう。人の上に立つべき仁の人が偉大なところは、通常の人間ではとてもできないような広い範囲にまで仁の心を及ぼすところにあるのだ。通常の人間はせいぜい家族を愛するところで終わる。しかし仁の人は家族だけでなく、他人である部下から一般人民に至るまで広く慈しむことができる。そんな仁の人、舜が弟を庶民のままで捨て置いたり、ましてや処分するわけがないだろうが。こういった考えである。孟子にとって憎むべきは人の上に立ちながら自分の快楽しか考えない紂王のような者で、君主が家族を愛しているならばむしろ仁の心を広げる見込みがありと期待するだろう。だから孟子は太子を前線に出して死なせた梁の恵王を「何と不仁なのか!」と罵ったのである(盡心章句下、一)。言うまでもなく、このような儒教倫理はネポチズム(身内びいき)を正当化するイデオロギーであった。
だが萬章の疑問の背後には、権力が公平無私であるべきだという期待がおそらく発生している。いわば舜という存在が生の人間に見えずに、むしろ職務を果たす政治家として見たいという視点が芽生え始めているのではないだろうか。そのような視点からは、舜の象に対するえこひいきなど権力の濫用にしか見えない。否、むしろ近親だからこそ真っ先に厳正に処分して、君主の公正無私さを天下にアピールすべきではないのか?
― 萬章がそこまで思ったかどうかはわからない。だが、彼の疑問の延長上には、そのような期待がきっと現れてくるのではないだろうか。それは太宰治が『右大臣実朝』の中で、源実朝を近親だからこそ厳罰に処分しようとする純真な政治家として描いたその姿である(このコラム参照)。また後世の法家思想は、君主に近親や側近への情愛を捨てた無感動さを求める。君主からの距離が遠い近いにかかわりなく法により処分するのが明主の道であると主張するのである。そうしなければ、専制権力の力が分散してしまって国家の利益とならない。戦国時代末期に展開された韓非らの法家思想は、明確に国家という「共同体」の利益を増すための一機関として君主を考えるのである。それが描く君主像は、孟子の描くものと正反対に人間の情愛を全く持たない機械でしかない。ただ現実問題として権力を保持する形態として専制君主制しか当時の中国ではありえなかったから、トップにヒトの君主がいるだけなのだ。
古代中国の政治思想は、トップが権力者でありながらかつ生身の人間であるという難問をめぐって展開されたといっても過言ではない。生身の人間だから欲望と猜疑心を持っていて、しかも専制君主だから情念の暴走を止める制度がないのである。君主には「逆鱗」があり、家臣がこれに触れると荒れ狂うと言われるゆえんである。『史記』を読むと、蕭何や張良といった漢創業の功名隠れもなき智者たちが、劉邦の猜疑心から逃れるためにいかに卑屈にふるまったかが活写されていて痛々しい。その君主を矯正するための教えがあるいは儒教の仁政であり、またあるいは法家の無為無感動の君主像であった。結局両者ともトップに常人とは異なる人格を求めざるを得なかったのである。両者の君主像は、もはや過去のものだなどと考えてはならない。近代西洋の立憲君主国で期待された「君臨すれども統治しない」君主像は、まさしく儒家の仁の人のイメージで捉えられていないだろうか。西洋の君主が優雅で慈愛に満ちた礼儀を身につけ、人民に熱狂される華麗な婚姻を行い、子弟はアイドルとなる姿などは儒家の理想の君主像そのままではないか。一方わが東洋での君主は、奥に引っ込んで無為と化し、人間性を極力見せない法家の理想の君主像といえないだろうか?社交という発想に乏しい北東アジア社会では、君主は奥に引っ込んでいたほうが人民にボロを見せずに済むのだ。権力者でありながら生身の人間であるという難問に対する解決法は、どうやら古代中国で提出済みであったようだ。
さて、西洋社会はこの両者の視点を綜合する工夫として代議制政治を考え出し、また法人という概念を考え出した。いずれも生の人間と権力の保持者とを分離する装置である。大統領も首相も社長も、その地位にいるという限りで公正無私であることが期待される。その地位を離れたならば、ただの私人とみなされなければならない。私人だからもちろん家族に情愛をかけるし、合法的に得た所得を家族のために優先的に使うことは当然ゆるされるはずだ。この西洋社会が編み出した智慧は今や世界中の社会で採用されている。日本もまたしかり。
しかし我々の伝統的な発想には、まだまだ上の二通りのコースの考え方が強く残っているのではないだろうか。人情を感じてしまえばトップの者への追求の手がゆるんでしまうし、世論が激昂すれば豪華な私生活までもが犯罪行為とされる。なかなか同じ人間を立場で別のように見る視点が成り立たない。西洋ですら時々「道義的責任」と言いながら国や企業のトップに対して私人の領域にまでバッシングを行なう傾向がまま見られるのだ。ましてや北東アジア社会ではなおさらである。二千三百年前に交わされた孟子と萬章との問答に見える両者の視点の違いは、現代の我々もまた往々にして権力者に向けて持つ二つの視点なのではないだろうか。
(2006.01.25)