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離婁章句下



二十三




孟子曰、君子之澤、五世而斬、小人之澤、五世而斬、予未得爲孔子徒也、予私淑諸人也。

孟子は言う。
「君子の遺風は、五世代もすれば尽きてしまう。小人の遺風もまた、五世代もすれば消えてしまう。余は、孔子の直接の生徒となるには生まれるのが遅すぎた。しかし余は幸いにも孔子のもろもろの業績を人々から伝授されて、孔子をひそかに慕うことができた。」

★故事成句★
「私淑」(直接会えないが、ひそかに慕う。直接会って傾倒するときにこの言葉を使うのはまちがい。)

『史記』孟子荀卿列伝では、孟子は孔子の孫の子思(しし)の門人に学んだとある。一説に孟子は孔子の時代に魯国を壟断した大貴族の三桓(さんかん)の一、孟孫氏の子孫であるという。孔子はもともと身分の低い成り上がり階級であり、ゆえに出自のあまり高くない門人たちに教養と上流階級の礼儀を教えて、彼らが仕官するのを助成しようとした。孔子は三桓の一つの季孫氏(きそんし)の身分秩序をわきまえぬ僭越行為に憤ったりしたが、自分自身の学校じたいも身分上昇の機運に乗ったものであった。いにしえの文化を慕う保守主義者でありながら、広い範囲に上流階級への門戸を開こうとした、孔子のある意味で矛盾した運動であった。低い身分の者たちが上流階級に参入しようとして競って教養と礼儀を学ぼうとする現象は、日本でも西欧でも見られるものだ。やがて時代は下り、実力優位の戦国時代となった。孟孫氏がその後どうなったかは定かでないが、もし孟子が孟孫氏の子孫であるならば、魯国の大貴族の末裔が孔子の道を慕って門徒の末流に付いたことになる。激しく流動する社会の中で思想だけが生き残っていった姿をよく示していて、何とも面白い。

孟子が子思の門人に学んだのならば、孟子は孔子から数えて五世代目となる。まさに孔子の遺風が尽きかけている時代に、自分が正道を復活させるのだという意気込みが本章に見て取れる(*)。しかし孟子の道といえども、他の学者から見れば孔子の本来の道からは外れていると批判されるものであった。孟子よりさらに半世紀後の荀子は、子思・孟子学派を厳しく批判した。そして『孟子』の書は、長い間儒教にとって重要でないテキストとされていた。それは、漢代以降の国教としての儒教は国家制度としての礼楽に中心を置くものであって、『孟子』の説く実践倫理は重視されなかったからである。魏晋南北朝時代や唐代の上流階級を捉えたのは、仏教と老荘思想であった。これらの時代には上流階級は貴族として固定されていたから、君子としての向上心など要らなかったのである。宋代になって科挙を通った試験エリートが貴族を駆逐する時代となり、そのとき初めて『孟子』は儒教の重要テキストとして認定されることになった。

(*)「世」の字の原義は「三十年」で、五世はだから百五十年という意味もある。紀元前479年の孔子死去から百五十年経った時期は、まさしく孟子が遊説に乗り出した時期だ。

儒教は政治と道徳を混同したことによって、後世の社会の発展を妨げたと批判される。だが政治家には価値観が必要なのだ。儒教が後世にもたらした害は道徳を政治に持ち込んだことにあるのではなくて、個人が他人に対して及ぼす関係がそのまま国家システムの指揮命令系統になってしまったところにある。これは為政者の目の届く範囲に国家が留まるような小国ならよいが、春秋戦国時代の複雑化した国家やましてその後の統一中華帝国では不適切である。精密な統治を行なおうと思ったならば、必ず法刑システムへの視野が必要となるだろう。その上で、為政者に価値観を与える道徳としての儒教があるならば、国家はよく運営できたはずだ。以前バジョットの主張について述べたように、「政府を動かす原動力を惹きつけることをなす」威厳のある部分を提供するのである(梁恵王章句上、七のコメントを参照)。近代ヨーロッパ諸国や日本は、そういった為政者の徳ではなくてナショナリズムという団結心をもって「政府を動かす原動力を惹きつけ」たに過ぎないのではないか?

結局儒教倫理をエリートたちが大真面目に護持した統一中華帝国は、精密な統治システムではなかった。エリートならぬ人民は野放しの状態だった。その人民の海の中で、志ある者が科挙の試験を通って身分上昇する。儒教はそのような者を発奮させるのに適切な教えであった。為政者に価値観を与えるものとして儒教は機能したが、法家思想がただ葬られただけで儒教との綜合ができなかったことは残念である。いや、地上の政治よりもっと高い価値を天上の世界に教える一神教がない限り、それは無理だったのかもしれない。


《次回は離婁章句下、二十五

(2006.01.10)




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