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公孫丑章句上



二(その三)



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何謂知言、曰、詖辭知其所蔽、淫辭知其所陷、邪辭知其所離、遁辭知其所窮、生於其心、害於其政、發於其政、害於其事、聖人復起、必從吾言矣、

公孫丑「では、先生が『言葉を理解することができる』とおっしゃることの意味を教えていただけませんか。」
孟子「かたよった言葉については、その話し手が隠そうと思っている真意を知ることができる。むちゃくちゃな放言については、それを言わせている話し手の心のとらわれを知ることができる。いかにも道理を外れた邪言については、それが正道からどれだけ離れているかを知ることができる。言い逃れの言葉については、それを言わせている話し手の窮境を見抜くことができる。こういったよくない言葉を発する心があるとき、その者は政道に害をなす。それによって政道に乱れがあるとき、政治の事業もまただめになる。今、再び聖人が現れても、必ず余の言葉の解釈に同意するはずだ(余は言葉の真意を理解する術を会得している)。」

ここで、孟子の「言葉を理解することができる」(言ヲ知ル)ということの解説が行われる。これは、以前にも引用した『論語』最終章のこの言葉と対応していると思われる。すなわち、

不知命、無以爲君子也、不知礼、無以立也、不知言、無以知人也。(尭曰篇)

天命を知らなければ、君子となることはできない。礼を知らなければ、人の世に立つことはできない。言葉が理解できなければ、人を知ることはできない。

荻生徂徠は、孟子の「言葉を理解することができる」という物言いについて、こう解説している。

孟子の「言を知る」も、また先王の法言を知るを謂ふなり。いやしくも能く先王の法言を知らば、すなはち規矩は我に在り、以て人の言を知るに足る。(『弁名』より)

つまり、「いにしえの聖王たちの打ちたてた制度礼法を孟子は理解することができる、と言っているのだ」ということである。前にも見たように、荻生徂徠の主張するところでは、聖人とは人間に対して制度礼法を打ち立ててやったゆえに聖人である。後世の聖人ならざる者は、それをひたすら学んでそれを「規矩」とするしか正しい道はありえない。孟子はそれを完璧にできると言ったにすぎない。だから「今、再び聖人が現れても、必ず余の言葉の解釈に同意するはずだ」(聖人復タ起ルトモ、必ズ吾ガ言ニ從ワンカナ)なのだ。そしてその「規矩」を完璧になぞることができるから、現代人の言葉に対して正邪の判断もできるのだ。徂徠はそう考える。

徂徠はこのスタンスから、いにしえの文献を現代人の概念を使って解釈することを排して、古代人の言葉の用法を探求して聖人の本当のメッセージをなぞろうという「古文辞学」を始めた。その姿勢はウルトラ保守主義である。だが徂徠の面白いところは、「いにしえの道」「いにしえの法」を制度として研究する方法を取った結果、現実社会を教条的な道徳から裁断する宋代以降の儒教の本流から離れて、今の政府の作った法刑制度について民生向上の面から実証的評価を行う視点を持つようになったことである。こうして徂徠はウルトラ保守主義者となることによって、古代と現代の真ん中にはさまれた現実無視のスコラ哲学を批判することができた。それが例えば丸山真男などに近代へのほのかな胎動として評価されることになる。

徂徠のスタンスはそれとして、「規矩」を求めようとする思考の行き着く先としては、聖人(神からの啓示でも、教祖のお言葉でも、もっと言えば国家の実定法でもよい)の言ったこと為したことを基準とするか、あるいは内面の「良心」とか「確信」とかいうものに根拠を求めるしかありえないだろう。孟子の言は、はっきり言ってどちらとも取れる。前も言ったように、孟子は「いにしえの道」「いにしえの法」を基準とすべきことを強調する一方で(離婁章句上、一)、いにしえのテキストに対して主観的な基準で解釈してもよいと受け止められかねない不遜な読解法をちらつかせている(盡心章句下、三)。これは素朴な教義への信頼から離れて、思想上のライバルとの自派の差異を意識せざるをえない状況に置かれた思想家が理論を純化させていった結果なのだろうと、私は考えたい。

孟子の時に至りて、墨翟・鄒衍・刑名の流、みな創作する所ありて、おのおの以て道となす。これ孔子のいはゆる「知らずしてこれを作る者」なり。故に孟子もまたただ徳を以てのみ聖を言ひて、また制作に及ばず。(『弁名』より)

《訳》
孟子の時代になって、墨子、鄒衍(すうえん。五行説に基づく循環的歴史観を説いたといわれる)、法家名家の学派はみな自説を創作するに至り、各々が正しい道と称するようになった。これらは孔子のいう「知らずしてこれを作る者」(『論語』述而篇)であった。だから孟子もまた(孔子にならって、本当は)ただただ「聖」についてはその徳目だけに言及し、何か新しい教えを制作したわけではない。

孟子も主観的には徂徠の指摘のつもりであっただろう。だが後世に残されたテキスト『孟子』からは、そこから図らずも偏倚した孟子のスタンスが見えているように思われる。そしてこの公孫丑章句は、儒家がおそらく老荘思想からの挑戦を受けて素朴な儒教の教義から純化させた心の分析を行った痕跡なのではないか。だから尭舜の制度への参照を抜きにしても道徳論として一応の完結をしている。「今、再び聖人が現れても、必ず余の言葉の解釈に同意するはずだ」という言葉を、もっと普遍的な人間道徳の法則を孟子が会得したからだ、と(あえて)読むこともできるように思われる。以後の章は、そのようなものとして読んでいきたい。


(2005.10.12)




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