公孫丑章句上
八
孟子曰、子路人告之以有過則喜、禹聞善言則拝、大舜有大焉、善與人同、舎己従人、樂取於人以爲善、自耕稼陶漁以爲帝、無非取於人者、取諸人以爲善、是與人爲善者也、故君子莫大乎與人爲善。
孟子は言う。
「孔子の弟子、子路は人が自分の過ちを教えてくれたら喜んだ。夏王朝の始祖、禹は人から善言を聞くと拝んで感謝した。舜はさらに偉大であった。人と共に善を行い、自分のわだかまりなど捨てて人に従ったうえで、人のよいところを取って善事を行うのを楽しんだ。庶民時代に農業したり商売したり陶器づくりをしたり漁業をしたりしていた頃から、尭に見出されてやがて帝位に上がる時まで、人のよいところを取って善事を行わないことはなかった。人のよいところを取って善事を行うのは、人と共に善を行うということだ。ゆえに、君子たるもの舜のように人と共に善を行うことより偉大なことはないと心せよ。」
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舜が庶民時代に各地でいろいろな仕事にチャレンジした伝説は、『史記』五帝本紀にも記載されている。孟子の先輩、孔子もまた青年時代はいろいろな仕事に手をかけていた。それは、彼の出自が取るに足らない卑賤の身分で、そこからスタートしたゆえである。
大宰問於子貢曰、夫子聖者與、何其多能也、子貢曰、固天縦之將聖、又多能也、子聞之曰、大宰知我者乎、吾少也賤、故多能鄙事、君子多乎哉、不多也。(『論語』、子罕篇)
呉の大宰(宰相)が、遊説してきた子貢に質問した、「あなたの先生は聖者ということですが、どうして多能なのですか?」子貢は答えた、「孔子はまさしく天も認めた、人を率いる将であり聖者です。ですが、多能でもあるのです。」孔子はこのことを聞いて言った、「大宰は余のことを見抜いておる。余は若い頃は卑賤の身分であった。だからいろんな雑業をやったので、多能なのだ。だが君子は多能なことがよいことなのであろうか?いや、君子の本質は多能にはない。」
『孟子』のこの章は、一見日本人が大好きな「ふき掃除も修行のうち」や「OJTこそが日本企業の強み」流の実践の経験から人間を作れという教えのように見える。だが、孔子や孟子の言いたかったことは、おそらくそこにはない。「ふき掃除も、、、」的な発想では、次の章に出てくる伯夷や孔子の弟子の顔回のような志操堅固だが実践ゼロの人間はダメ人間と評価されるだろう。だが、孟子は両者を最高の生き方とはしないが高く評価しているのである。
あるいは古代中国の庶民感覚の中には、舜をそういった何でもやってみる人だから偉い人だったという考えがあったのかもしれない。舜の伝説には普通の人々の「偉い人」観が投影されているのではないか。豊臣秀吉とか二宮尊徳とか田中角栄とかを立派とみなす感覚と同じものである。こういった感覚は、そのまま墨子の思想で展開される。墨子はこの章でも言及される禹を最も称える。禹は天下のために働きに働き、自分の家の前を通り過ぎても立ち寄らないほどだった(離婁章句下、三十)。だが後の滕文公章句で、孟子は許行(きょうこう)ら農家の「人は皆田畑を耕して働くべきで、人の上に立って徒食するだけのエリートを賢者と言うのはおかしい」という主張をきっぱり退けるのである。
孔子や孟子は舜のそのような行動を倫理の目的ではなく、心の中にある倫理の外にあらわれた結果として考えていたに違いない。両者はあらわれた行動としては一緒であっても、人に対する教訓としては全く違う。まず心の中に仁義礼智をしっかりと育てよ。そうして心を「安宅」に落ち着けよ。そうすれば自分にとってなすべきことは見えてくるだろう。舜のように行動から教訓を学び取って自分を高めるのは最もよい。次章に出てくる柳下恵のようにこだわりなく人とつきあうのも、それが自分であるならばそれもよい。禹のように天下のために働きに働くのも、確信をもって選んだ生き方だからそれもよい。禹や殷の湯王を助けた伊尹は、生まれながらの支配者ではない。禹は舜に治水大臣に任命され、伊尹は自ら湯王に売り込んで仕えたのだ(これは『史記』殷本紀の記述で、孟子はこの説を斥けて伊尹は湯王のたびたびの招きを受けて仕えたと主張している)。そして伯夷のように信念を守って孤高に生きるのも、それはそれで善に従って生きているからよいのだ。彼も大きな義に心を向けて生きているのであって、天下のために生きているのには変わりがない。どの生き方を選び取るかは、個々人の天分による。だから、孟子も「願わくば孔子の出処進退を学びたいものだ」(公孫丑章句、二)と、自分の行動のしかたとして孔子に学びたいと表明している。だがそれが唯一の回答ではないはずだ。ただし、これは一般的な行動原理であって、いやしくも人の上に立つ立場の者には必然的に仁義の心を広く及ぼす義務が生じることは、いうまでもない。
「ふき掃除も修行のうち」や「OJTこそが日本企業の強み」流の考えが日本の経済的繁栄をもたらしたのは、まちがいない。
だが同時にそれは、「経験がすべて」「学問なんぞは○○○○のしわ伸ばしにすぎない」という庶民感覚と奥底でつながっている。実際世の学者先生たちもそのような庶民感覚にしゅんとなって自虐的となる傾向が強いようだ。作家の芥川龍之介はそのプレッシャーに負けて自殺した。ハルヒン=ゴル戦争(ノモンハン事件)でソ連軍の指揮を行ったセルゲイ・ジューコフは、「日本軍は兵卒は有能で下士官は勇敢であるが、将軍は無能だ」と評したという。どうも当時の関東軍はじめ陸軍の首脳たちは、下の者たちに気を使う仁義の心ばかりに捕われていて指揮官として自らの智を磨く鍛錬を怠っていたようである。「他人に配慮する」心ばかりが優先して、それを自分の中にしっかり留めた上で智によって伸ばすという主体性を見失っていたのではないか。人の上に立つ者ならば普遍性は心の中に育てるべきで、外の世界の他人に直接見出すべきではないだろう。
現在はこういった「他人に配慮する」心にばかり捕われて主体性を見失っていた政治のあり方への反動が起き始めている時代なのかもしれない。だが、その反対で「人は自由だから自分の心に応じて何をやってもよい」という方向に人の上に立つ者が向うならば、それは紂王の道であって残賊の道であろう。
(2005.10.24)