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離婁章句下



三十二



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曾子居武城、有越寇、或曰、寇至、盍去諸、曰、無寓人於我室、毀傷其薪木、寇退、則曰脩我牆屋、我將反、寇退、曾子反、左右曰、待先生如此其忠且敬也、寇至則先去以爲民望、寇退則反、殆於不可、沈猶行曰、是非汝所知也、昔沈猶有負芻之禍、從先生者七十人、未有與焉、子思居於衛、有齊寇、或曰、寇至、盍去諸、子思曰、如伋去、君誰與守、孟子曰、曾子・子思同道、曾子師也、父兄也、子思臣也、微也、曾子・子思易地則皆然。

孔子の弟子の曾子が魯の武城という城市(まち)にいたとき、越国が侵攻してきた。ある人が曾子に言った、
ある人「もうすぐ攻め寄せて来ます!退去なさらないのですか?」
曾子「(では、余は立ち退くとするが、言い置くことがある。)余の部屋に誰も入れてはならぬ。庭の草木を傷めてはならぬ。越兵が退いたならば、この家を修理しておけ。戻ってくるから。」
さて、越兵が撤退して、その後に曾子は戻って来た。しかし左右の弟子たちはこう言った、
弟子たち「城市の人々が先生を待遇するや、まことに忠敬この上ない。先生は兵が攻めて来たらいち早く立ち退いて、そのため人民たちも意を得たりと先生に倣った。そして兵が撤退したら、戻って来た。はて、どう見ても立派な行為とは思えないが、、、?」
それを聞いて、弟子の一人の沈猶行(しんゆうこう)が言った、
沈猶行「このことは、諸君らには分かるまい。昔、沈猶家が負芻(ふすう。人名か?)の乱に巻き込まれたことがあった。そのとき先生は七十人の弟子を引き連れて退去し、そのため誰も被害をこうむらなかったのだ。」

孔子の孫の子思(しし)が衛国にいたとき、斉国が侵攻してきた。ある人が子思に言った、
ある人「もうすぐ攻め寄せて来ます!退去なさらないのですか?」
子思「この伋(きゅう。子思の名。にんべん+及)が退去したら、わが君を誰が守るのか?」

孟子は言う、
「曾子と子思は、同じ道を行なっているのだ。曾子は武城の人民や弟子たちの師の立場にいた。人の父兄であったのだ。一方、子思は家臣の立場にいた。人の下にいたのだ。曾子と子思が立場を替えれば、それぞれ同じことをしたであろう。」

「立場によって進退を変える」ということを言おうとしている章である。曾子は師の立場にいたから、自分の身を率先して守ってもよい。一方子思は家臣として仕官していたから、君主と共にいる義務がある。これが礼に乗っ取った進退である。なりふり構わず義侠心に燃えて抗戦したりするのは、君子のなすべきことではない。今の立場に応じた責任を果たすべきなのだ。もちろん子思は仕官しているから責任を感じているのであって、仕官していなければ逃げてもかまわない。本章句下、三十でのたとえを援用するならば、家臣でもないのに国のため命を張るなどは家の外での住人同士の争いに介入するようなものだ。戸を閉めて逃げ隠れても構わないのである。

曾子の弟子たちが疑問に思ったことは、おそらく「君子というものは、人民のお手本として率先して勇気を示すことではないのか?まちの危機が迫っているのに、一兵卒としてでも戦う気概を見せて彼らを奮起させることこそが、日頃から尊敬されている君子の進退なのでは?」とでもいうものだろう。だいたい西洋では、これが貴族の義務とされる。だから第一次大戦では、上流階級出身の下士官たちが機関銃の前に突撃する暴勇を率先して示したために、彼らの死亡率は兵卒よりも高かった。

しかし儒教は中国社会の世界観に忠実に、「命ある間が全て」と考える教えである。大事な命を無駄に費やすことは薦められない。あえて仕官しているならば義務として君主の盾となる覚悟も必要だが、そうでもないのになんで無駄死にする必要があるのか?むしろ死なない手立てを考えるべきだ。儒教は、天国での報いも鉄十字勲章も靖国神社も用意しないのである。中国大陸はオリエント地方と違って都市を離れても肥沃な土地がいくらでもあるから、都市から退去することがそのまま死を意味しない。中国では戦争があれば人民がまず逃げることを考えるのは、中国大陸の肥沃さが背景にあって生まれた行動様式かもしれない。

礼とは本章の例のように、人間の「気概的な部分」(プラトン)から発せられる衝動を、自分が社会のどのような位置にいるのかに応じて理性的に抑制するはたらきを持つ。いわゆる「侠」と呼ばれる、やむにやまれぬ義侠心に従って命をも投げ出す精神は、よく儒教に由来すると間違えられがちである。しかし「侠」の精神は本来の儒教の教義から遠いはずだ。「やむにやまれぬ大和魂」を理性でぐっと抑えて、仕官して人の上に立った上で仁義と智慧で社会を教化しようと決意させるのが、儒教の精神であるに違いない。儒教とは北東アジア人の感性に共通している(と思われる)、義侠心の激発によって後先も省みず悪に立ち向かっていくようなブルース・リー的勇気を「匹夫の勇」として切り捨てるところに成り立つ。儒教はあくまでも理性的判断による進退を大事とする、西洋のストア派哲学と同じエリート思想なのである。


次章のコメントは、省略する。


《次回は離婁章句下、三十四

(2006.01.17)




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