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盡心章句上



十五




孟子曰、人之所不學而能者、其良能也、所不慮而知者、其良知也、孩提之童、無不知愛其親者、及其長也、無不知敬其兄也、親親仁也、敬長義也、無他、逹之天下也。

孟子は言う。
「人は、特に学習しなくてもできる『良能』というものがある。また、熟慮しなくても理解することができる『良知』というものがある。ほんの幼な子でも、その親を愛することを知らない子はいない。その子が大きくなって、兄を敬わない者はいない。親に親しむのは仁の精神である(他者への愛)。兄を敬うのは義の精神である(他者との秩序感覚)。なんということはない。小さい頃にあった心を広げて天下に及ぼせばよいのだ。」

告子章句の議論の延長戦と言うべきであろう。仁と義の徳は、人間に生まれながらに本来備わっているはずであるという主張である。ではどうして大人には善人とそうでない人がいるのか、という疑問については、すでに告子章句で議論された(告子章句上、十五他)。

本章の「良知」という概念は、王守仁(おうしゅじん。号して王陽明、1472 - 1528)の思想のキータームとなる。彼の思想から「良知心学」と呼ばれる学派が生まれた。詳細を説明できる力量は私にとてもないが、彼は天から与えられた絶対的善なるものとしての「良知」が人間に備えられていることを強調して、人間の心の自律・自足性を強調した。当初王守仁は、「心即理」というテーゼを掲げた。これは朱子学の「性即理」のアンチテーゼである。朱子学が人間が本来持っている客観的な資質とも言うべき「性」を理性によって制御して正しく伸ばすべきだと説くのに対して、「性」はそのように人間の「心」と対立するものではないと主張した。そこで、天から与えられた「心」の主体性を強調したのである。「良知」とは、そのように捉えられた「心」をもっとプラスに意義付けたタームである。天から与えられた「良知」の価値を強調する主張は更に進んで、それは本来何ものにも縛られない自由を備えていて、既存の学問教養などには縛られていないとまで踏み込んだのである。それはまさに、教養重視の朱子学へのアンチテーゼであった。

王の主張は、いわば孟子の「天爵」の価値を強調する面は擁護しながら、他方で学問によって人間を完成させるべきだという主張の面は切り捨てたと言うべきか。ともあれ「良知心学」は、明代末期の学会を風靡することになった。その流行は、当時の勤勉蔑視の享楽的世相ともよくマッチしていたとも言える。自由な思考が重んじられるようになって、良い面では李贄(りし。号して李卓吾、1527 - 1602)のような既成概念に捕われない自由な批評精神を生み出した。しかし悪い面では教養が軽視されて根拠もない出鱈目な説が横行するようになったという。時代が下って清代になると、そのような王守仁の追随者たちは顧炎武らの考証学派によって厳しく反批判された。


(2006.03.15)



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