滕文公章句上
三(その二)
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使篳戰問井地、孟子曰、子之君將行仁政、選澤而使子、子必勉之、夫仁政必自經界始、經界不正、井地不釣、穀祿不平、是故暴君汙吏必漫其經界、經界不正、分田制祿、可坐而定也、夫滕壤地褊小、將爲君子焉、將爲野人焉、無君子莫治野人、無野人莫養君子、(夫世祿、滕固行之矣、)請野九一而助、國中什一使自賦、卿以下必有圭田、圭田五十畝、死徙無出郷、郷田同井、出入相友、守望相助、疾病相扶持、則百姓親睦、方里而井、井九百畝、其中爲公田、八家皆私百畝、同養公田、公事篳、然後敢治私事、所以別野人也、此其大略也、若夫潤澤之、則在君與子矣。
*カッコでくるんで赤字にしている部分は、本来本章前半の一文。定説に従い、ここに置くことにする。
文公はこうして家臣の篳戰(ひっせん)に命じて井田法のやり方を孟子に問わせた。孟子は言った、
「あなたの君公が今まさに仁政を行なおうとして、選んであなたを私のもとに使わされた。重々努力して学びなさい。
まず仁政とは境界を定めるところから始まります。境界が不正確であれば、井型に区切った土地の面積が不均等になり、結果収穫・家禄が不均等になります。だから暴君汚吏どもは、必ず土地の区画設定をでたらめにやるのです。境界を正確にしてしまえば、田を分けて家禄を制定することは居ながらにでもできるようになります。さて滕国はその領地が狭小ではあるが、君子(ここでは本来の意味で、貴族階級)もいれば庶民もおります。君子がいなければ庶民を治める者がいないし、庶民がいなければ君子を養う者がいません。そもそも禄の世襲は、滕国では昔から行なわれていました。(だから後は境界を正確にして禄の公正をはかればよいのです。)こうすればいいでしょう。郊外では井田法を敷いて「助」の税法により九分の一税とする。一方都の近辺では各人に土地を割り振って「徹」の税法により十分の一税を自ら収めさせる。また卿(大臣)以下の重臣には必ず圭田(けいでん。井田法により支給される田とは別に重臣に特別に与える田)を与える。圭田は家臣一人当り五十畝(0.91ヘクタール)とする。また嫡男以外の子弟にも一人当り二十五畝(0.45ヘクタール)を支給する。ここまで配慮することによって、家長が死んでも土地を取替えても郷(きょう。周代の集落単位)を出ることはありません。郷では「井」の字の区画の田を八世帯共同で耕し、互いの田を出入りして相助け合い、病気が出てもまた助け合う。こうすることによって百姓は親睦します。一里四方を井型に区切った区画が「井」です。一井は九百畝であり、その真ん中が公田です。八世帯はそれぞれ私田百畝を持ち、共同で公田百畝を耕します。まず公田の耕作を優先させ、その後に私田の従事を許します。庶民に公私の別をわからせるためです。以上が制度の概略です。これを具体的に運用する詳細は、あなたと君公の仕事です。」
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私 私 私
私 公 私
私 私 私
「井田法」とは、上のように八世帯一組で土地を九分の一に分割し、真ん中の一区画を八世帯共同で耕して年貢とする制度である。だから九分の一税となる。上の説明で分かるように、田地は庶民も家臣も一括に一定量が割り振られる。ただし卿以下の重臣に対しては、特別に追加の田が支給される。家臣も一人の農民として農村に戸籍を持つという建前なのである。当然農民は土地への定住が前提であり、土地の売買や人の移動など許されるはずがない。身分がカーストとして固定されていないので農民の子弟でも努力すれば階層上昇のチャンスはあるが、基本的に自由はない。二十世紀の社会主義の農地制度と発想がほとんど同じである。
一見細かく配慮しているようであるが、市場原理というものを全く考慮していないので、こんな平等など所詮は絵に書いた餅である。結果は必然的に不平等なものとなる。市場原理は収入の差を容赦なく開かせるし、土地に与えられた改良の度合によって、単位当りの収穫量の差はどんどん開いていく。そうやって歴史が下るにつれて富農と貧農が分別される。儒教の経済思想には、反市場社会の発想があることを認めなければならない。それは結局刑罰による強制を必要とし、しかもそれによって不平等は決してなくならない。君子を養うための庶民の統治法を述べた箇所については、孟子の儒教は完全に捨て去らなければならない。こんな建前で古代の素朴から脱した目ざとい百姓が親睦するはずがないのである。人間には「非社交性」(カント)の一面があることもまた、認めなければならない。
(2005.11.25)