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離婁章句上



二十八



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孟子曰、天下大悦而將歸己、視天下悦而歸己、猶草芥也、惟舜爲然、不得乎親、不可以爲人、不順乎親、不可以爲子、舜盡事親之道、而瞽瞍底豫、而天下化、瞽瞍底豫、而天下之爲父子者定、此之謂大孝。


孟子は言う。
「天下が大いに喜んで自分に帰服したとせよ。天下が大いに喜んで自分に帰服しても雑草やゴミのようなものだとみなすのは、舜だけができることだ。親に受け入れられなければ、人として失格である。親に喜ばれなければ、人として失格である。舜は、親に仕える道を尽くした。そうやって、ようやく父の瞽瞍(こそう。ソウは、めへんに叟。以下,「瞽ソウ」と表記する)は喜んだ。瞽ソウが喜んだから、天下は教化された。瞽ソウが喜ぶことによって、天下の父子たるべき道が定まったのだ。これを大孝と言うのである。」

舜の父の瞽ソウは「盲人のおじいさん」という意味の一般名詞で、非常に寓話的な名前である。『史記』五帝本紀によると、瞽ソウは後妻との間にできた舜の異母弟の象(しょう)を偏愛し、舜をかたくなに憎んだ。弟の象は弟で、傲慢な人間であった。二人は隙あれば舜を殺そうと企んだという。だが舜はそれでも父母に仕え、弟をいつくしみ、父や弟の企みからは上手に逃れた。やがて舜の徳行が評判となって堯帝の朝廷に聞え、堯帝は試しに舜に自分の娘を娶わせて息子たちを仕えさせたところ、子供たちは舜に大いに感化された。そこで堯帝は舜に天下の富を大いに分与した。だがここまで舜が天下に認められたのを見て、父の瞽ソウと弟の象は舜をまたしても殺そうとした。舜が倉の屋根に登って塗装をしようとすると、下から火をつけた。だが舜は死から免れた。瞽ソウは次に舜に井戸掘りを命じ、舜が井戸を堀り進めて地下に潜っているところを見計らって、上から土を投げ入れた。瞽ソウと象は今度こそ舜は死んだと思って、舜の殺害を公表して舜の富を家族で分け取ろうとした。だが舜は生きていた。あらかじめ井戸に抜け穴を作っておいたのだ。生きて帰って来た舜を見た象はいまいましそうに「兄さんのことが心配でした」などと言ったが、舜は「お前ならばそう思ったであろう」と言って、不問に処した。そして変わらず父母に仕え、弟をいつくしんだという。

神話的に見れば、これは英雄の試練説話であろう。オオクニヌシが義父のスサノヲに試練を受けた話や、ヘラクレスが罪をつぐなうためにアルゴス王から命ぜられた十二の試練を乗り越えた話などと同じである。「下積みの苦労の後に成功があった」という物語は人類が古来から大好きな感動の普遍的パターンだ。豊臣秀吉の出世物語などその典型で、よくもまあ飽きずにTVドラマで繰り返し使われるものだと感心するが、それは話としていちばん人間の琴線に触れるパターンの一つだからだ。

孟子が舜を激賞するのは、上のような仕打ちを受けてまでも、舜は父と弟を憎まなかったという点である。舜の説話は、倫理の根本とは何であるかをわざと大げさに語っているのだ。父が後妻をめとって、後妻との間にできた子を偏愛するというのはよくある家庭のパターンである。そして前妻との間の子が家で居づらい状況に追い込まれることも、あまりにもよく見られる家庭の一シーンである。それで家出するなりブチ切れて反抗するのが、しごく普通の反応だ。だが儒教は、それはしてはいけないという。なぜならば、家族は人間にとって最も身近な外界であるから、これへの情愛を失くしてしまったら人間の倫理が全てダメになってしまうと考えるからだ。身近なものへの情愛からだんだんに広げていって、社会倫理を構築するのが儒教だからである。

本章で孟子は、父の瞽ソウは最後には喜んだと言っているが、『史記』では瞽ソウがどう思ったかは書いていない。後の萬章章句での解釈と同じく、ひょっとしたら儒家の勝手な解釈かもしれない。舜は正しい道をもって父に仕えているのだから、父への至誠は必ず通じなければならないからだ(本章句上、十二)。私個人の考えではついに通じなかった方が人間の一つの真実を表していて面白いと思うが、それでは倫理的教訓にならないから孟子のように言うのであろう。

舜の説話に見られるように、身近なものへの情愛から倫理を始めることは、孟子が言うほど簡単なものではないに違いない。それは人間として必ず決意が要る。「どんなに裏切られても、私は親を愛し、兄弟を愛する」という倫理的決意がなくては、舜のようには生きられない。だから、帝位に昇ったからといって父や弟をないがしろにすることは決してしないのである。萬章章句上、三で、どう見ても人の上に立つ主君として不適格な弟の象に対して舜が領地を与えて優遇したことに弟子の萬章が疑問を持ったのは、当然だろう。だが、孟子の回答は「自分が天子となって、弟がただの平民のままだったら、親愛の情はどこにある?」というものであった。舜は、家族への情愛が人間倫理の根本であるという決意をもってそうしたのである。だから舜は、人間の模範としての聖人なのだ。

人間がそのように決意をもって生きるためには、社会全体がたとえば舜を立派な人間だと認めなくては、主体的なインセンティヴが働くはずがない。それこそが、制度であって、「礼」である。『史記』には、舜の徳行が天下に聞えて、舜を慕って周囲に人がどんどん集まったと書かれている。社会的に舜の徳行がよいものだという合意ができあがっていなければ、このような現象が起る(あるいは起るはずだと考えられる)はずがない。もし舜がそこで父や弟を見捨てたならば、たちまち舜の周りから人は去っていくだろう。ひょっとしたら舜は内心で父や弟にムカついていたかもしれない。だがそれを外に出してはならないのだ。倫理的決意とはそのようなものだ。偽善であるが、倫理とは偽善のスープの中に一つまみの真実の塩が入っているようなものなのであろう。塩がなければ、スープが人に味わいあるものとして受け入れられるわけがない。だがいきなり塩を出されても、誰も見向きもしない。社会が調理したスープに入れなければならないのだ。

自由主義が「どんなにイケスカなくても、ムカつく奴であっても、あなたが発言し行動する自由じたいを力で抑圧してはならない」という倫理的決意が必用なことと一緒である。儒教倫理も、自由主義も、周囲の社会に「礼」が出来上がっていなければ、各人が主体的にそれを行なうことはできないであろう。特に日本社会では人の心が世間に向いているので、マスコミや大衆がバッシングするとそれを受けた人の心に厳しく直撃する心の構造になっている。「言いたいことを言ってみろ」という積極的な自由主義がなかなか難しい土壌である。過去の歴史を見ても、組織の中で上の失敗を誰も言い出せずにずるずると失敗を膨らませていく現象が非常に多いが、それは各人の心が世間の評価だけを見ているから、それぞれが批判に耐えられないためであろう。組織の皆がそのような人の心の脆弱さをわかっているから、困ったことを互いに言い出せないし、ましてや上には言えない。自分が相手を見て相手から安心されるのが倫理的正義だと思っているから、逆に相手を傷つけるのを倫理的悪として恐れるのである。かくして、失敗は失敗を重ねていく。まだしも儒教のように家族とそれ以外に倫理的重要さの差を設けているほうが、本来疎遠な関係の組織の他人には苦言を言いやすいのかもしれない。


以上で、離婁章句上は終了する。章句下はさらに内容が雑駁になるが、章句上が主に家族との関係が述べられたのに対して君臣や一般人との関係が中心となる。儒教倫理で言えば、家族との関係は最も身近な情愛の対象であり、一方君臣や一般人との関係は疎遠な社会的ルールである。言い換えれば、家族との関係は「いつでも守らなければならないこと」であり、かつ「人間ならば誰でもできること」(誰もがしなくてはならないこと)である。一方、君臣や一般人との関係は「特殊な状況の下で守らなければならないこと」であり、「選ばれた人間だけが行うべきこと」(ただの人は守らなくてもいいこと)である。儒教はエリート思想であり、君子のなすべき倫理とただの人民のなすべき倫理には明確な区別がある。それは、「人間は誰にも等しく情愛を与えることができない」という人間観が背後にあり、かつ「選ばれた人間にしか政治はできない」という社会観が背後にある。「他人に配慮する」心は選ばれた君子でしか広く伸ばすことができないのだから、両者は相補っている。

一方、その反対の「人間はだれにも等しく情愛を与えることができる」という博愛精神と「人間はことごとく国政に参加する権利を持ち、能力があるはずである」というデモクラシーとは、コミュニズムでは明らかに相補っている。だが現実の代議制デモクラシーではどうであろうか?本章句の終わりに、できれば検討してみたい。

2005年年末に記す


《次回は離婁章句下、一

(2005.12.30)




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