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盡心章句下



二十九



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盆成括仕於齊、孟子曰、死矣盆成括、盆成括見殺、門人問曰、夫子何以知其將見殺、曰、其爲人也小有才、未聞君子之大道也、則足以殺其軀而已矣。

盆成括(ぼんせいかつ)が斉に仕えることになった。それを聞いて孟子は言った、
孟子「盆成括は、死ぬだろうな。」
その後、果たして盆成括は殺された。門人が質問した、
門人「先生は、どうして彼が殺されることを予期できたのですか?」
孟子「彼の人となりと言えば、確かに小才はあった。しかし、まだ君子の大道を聞き知るところまではいかなかった。それでは己の身を殺されるより他に、道はないというものだ。」

「小才は身を滅ぼす」という教訓を語った章である。盆成括とは何者かよくわからないが、注によれば以前に孟子の門を叩いた人間であったという。孔子の弟子で師に昼寝を叱責された宰我(さいが)もまた、斉に仕えたが田常(でんじょう。宣王の祖先で、田氏による斉国乗っ取りは事実上彼により行なわれる)の乱に荷担して一族皆殺しになったという。「孔子は、それを恥とした」と『史記』仲尼弟子列伝には書かれている。

かの曹操に仕えた才子はいろいろいたが、建安七子の一人の孔融(こうゆう)は何かと曹操の政策に対する皮肉の言が多く、ついに彼の逆鱗に触れて殺された。また「鶏肋」の故事で有名な才気煥発の楊脩(ようしゅう)は、結局死を与えられた。曹丕と後継者を争った曹植に近づきすぎたことが、誅殺の原因だったという。しかし一方で建安七子の一人の陳琳(ちんりん)は、袁紹旗下にいた時に一度は痛烈な檄文によって曹操を激怒させたにも関わらず、降伏して許された。また賈詡(かく。クは「ごんべん+羽」)は後世に無節操者として酷評されたにも関わらず、曹操・曹丕の二代に仕えて天寿を全うした。君主に仕えて殺されるか生き延びるかの分かれ目などは、おそらく孟子が言うほど簡単なものではないのだろう。だから、仁義の徳が実現できるかどうかは運命しだいなのである(本章句下、二十四)。その現実を直視しながらなおかつ努力して徳を積むことに意義があるかどうかは、もはや自分個人の魂に平安と幸福が得られるかどうかの問題であろう。そして、平安を得て善に確信を持った魂ならば、きっと「天爵」として潜在的に持っている力を存分に発揮して、この世界の中で各人なりによい仕事をできる道が見えてくるに違いない。それで倫理としては十分である。


(2006.04.13)



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