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告子章句上





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孟子曰、無或乎王之不智也、雖有天下易生之物也、一日暴之、十日寒之、未有能生者也、吾見亦罕矣、吾退而寒之者至矣、吾如有萠焉何哉、今夫弈之爲數、少數也、不專心致志則不得也、弈秋通國之善弈者也、使弈秋誨二人弈、其一人專心致志、惟弈秋之爲聽、一人雖聽之、一心以爲有鴻鵠將至、思援弓繳而射之、雖與之倶學、弗若之矣、爲是其智弗若與、曰、非然也。

孟子は言った。
「王(魏王なのか斉王なのかは不明。たぶん斉王だろうが)が自分の価値を知らないのは、怪しむには当たらん。この世にどんなに成長しやすい植物があったとしても一日暖めて十日冷やしたりしたら、芽が出るものの出られないというものだ。余が王に会見できるのはまれだ。余が退いた後で冷やす者がやってくれば、芽生えたものがあってもどうすることもできない。囲碁なんてつまらん技能だが、専心して意志を貫かなければ上達できない。『囲碁プロの秋(しゅう)』は天下誰でも知っている囲碁の達人だ。だが秋が二人の弟子に囲碁を教えたとしても、一人は専心して意志を貫きひたすら秋の教えを聴き、もう一人は秋の言葉を聴いてはいるものの心の中では『そろそろ渡り鳥がやってくる季節だなあ』とか『来たら弓で狩りしてやろうかなあ』とか考えていたならば、二人一緒に学んでも上達の差は歴然だ。智が足りないから差がついたのだろうか?いや。師の教えをちゃんと聴いて専心するかどうかの違いではないか、、、、」

「惻隠・羞悪・辞譲・是非の四端があるのに、仁義礼智の道を行えないと言う者は、自分の価値を貶める者だ。ひるがえって君主に仁義礼智の道を行えないと言う者は、君主の価値を貶める者だ。仁義礼智の徳を大きくしていけば、やがて天下を安んじることもできるだろう」(公孫丑章句上、六)。そのように人間の善性を固く主張する孟子は、人の上に立つ君主にも仁義礼智の徳を伸ばすべき無限の可能性を認めないわけにはいかない。君主の可能性を認めずに「わが君はとてもだめだ」などと言う者は、「賊」と言われるのだ(離婁章句上、一)。

孟子がどうして性善説を主張して譲らなかったのか。それは、現実の君主に仁政を期待するためには、人間存在に無限の善の可能性を認めるより他はなかったからに違いない。孟子は行く先々の君主に向けて、「人間は誰でも成し遂げようと志せば、きっと舜のようになれる」(滕文公章句上、一)などと説いて回った。このように君主をその気にさせて仁義の心に目覚めさせるためには、性善説でなくてはならないのだ。それを疑って、「仁君とは天才的素質を持った人間にしかなれない」などと考えたならば、孟子の説教は全て無意味となってしまう。性善説は、君主をヨイショして仁政を実現させるためにどうしても必要な説なのだ。

しかし本章は孟子が王(たぶん斉の宣王)を目覚めさせることができないことへの嘆きである。それにしても、世襲の専制君主に改心を期待して努力するとは、何という無駄骨であろうか。一遊説者の説教ごときで専制君主が改心するとでも、本気で思っていたのであろうか。だがそれが専制君主制なのである。韓非もつくづく嘆いたように、欲望と自尊心で凝り固まっている世の君主を説得するのは実に難しい。連中は耳に快くない説を聞けば怒り、ただでさえ偏狭で思い上がった心はさらに頑なになって、その説は決して採用されないだろう。だから君主を説得するには細心の注意を払ってその心を取り、説者の提案を採用することが自分の利益になることを快く認めさせなければならない。孟子の性善説もまた、君主の耳に快く響く説として戦略的に主張された面がなきにしもあらずだったに違いない。孟子の主張はこれまでも見たように君主にとって毒を持った薬であるから、外側を性善説の甘い糖衣でくるんだのは、遊説のプロとしてのテクニックだったともいえようか?

当然時代の流れと共に、孟子の説得法には批判が起った。荀子や韓非の主張は、君主は制度を制定すべきであるというものであった。そこにおいてはもはや、君主が仁義の心を伸ばして聖人の徳に近づくことなど必要ない。君主は効果的・能率的な制度を制定するべきなのだ。こうして性悪説とセットになった制度改革の薦めが、新しい君主説得の論理として開発された。荀子は長らく斉に居続けてその後楚で後学の指導に当たった、どちらかといえば学究の人であった。しかしその弟子の韓非は ― 実際には大した実績を残さなかったにしても ― 君主説得への関心を強く持った思想家であった。彼の主張が、君主が家臣から地位を乗っ取られないためにどうするべきかを巡って展開され、しかもそのためには周囲に気を使って欲望を抑える必要もないと論じたのは、専制君主を説得するための言葉として必死に練られたものであった。孟子の思想も韓非の思想も、その妥当性そのものとは別の次元の問題として、専制君主の心に取り入るための議論であったことが影を落としている。西洋思想と違う点である。


《次回は告子章句上、十

(2006.02.20)



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