盡心章句上
三十八
孟子曰、形色天性也、惟聖人然後可以踐形。
孟子は言う。
「体型や顔は天与の性質であり、今さら変えることはできない。しかし聖人のみが、自らに与えられた天与の性質を、十分に使い切ることができるのだ。」
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本章も、告子章句の主張の言い換えである。いっぱんに中国の歴史的記録は、人間の容姿についてあまり詳しく記述しない。西洋の歴史家が執拗に人間の容姿について描写しようとするのと対照的である。だからフン族 the Huns の容貌の記録は詳しく残されているのだが、その祖先なのかどうかいまだ論争に決着が着いていない匈奴人の容貌はよくわからなかったりする。人間の肉体そのものにさほど興味を持たなかった中国人であるから、本章のように「人間は見てくれよりも、心である」といった不細工の励みとなるような格言を残してくれているのだ。だいたい中国では「君子は鷹揚な雰囲気を出すために、恰幅よく太っているべきだ」と考えていた。西洋貴族のごとく指導者はスポーツで体を鍛えて筋骨隆々たるべしという考えは、あまりない。力強いのは武人であって、そして武人は君子に使われるべき立場とされてきた。だが近年は日本でも中国でも、肥満が喜ばれる審美感がほとんど擦り切れてしまったようだ。それは現代のような食に不自由しない時代では、肥満が珍しくもなければ裕福の象徴でもなくなってしまったからであろうか。
(2006.03.27)