盡心章句下
十九
貉稽曰、稽大不理於口、孟子曰、無傷也、士憎茲多口、詩云憂心悄悄、慍于羣小、孔子也、肆不殄厥慍、亦不殞厥問、文王也。
貉稽(はくけい)が言った、
貉稽「稽(名を称しているので、へりくだっている)は、どうも口に角が立って、人を信頼させることができません。どうしたものでしょうか?」
孟子「気にすることはない。士とは、ますます大衆から憎まれるものなのだ。詩経に言う、
心、憂いでしずむばかり
小人にもなじられる日々
(邶風(はいふう)『柏舟』より。ハイは「北+おおざと」)
と。孔子は、このようであった。また詩経に言う、
夷(えびす)の怒りは解けなかったとしても、
それがどうした、王の名声は何も傷つかぬ
(大雅『緜』より)
と。文王は、このようであったのだ。」
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前の章から続いたテーマである。だが孔子は多士済済の弟子を持っていたし、鄭の子産など共感することができる同時代人もいた。先駆者であったから求道者のように厳しかったかもしれないが、それほど孤独な心境であったとも思えないのであるが。だが孟子はといえば、新手の論敵に囲まれて儒家の価値ががどんどん相対化されていく時代において必死に闘った孤独の闘士であった。そのような彼と孔子とでは、少しく違う心境にあったのではないだろうか。
(2006.04.07)