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梁惠王章句下






孟子謂齊宣王曰、王之臣有託其妻子於其友而之楚遊者、比其反也、則凍餒其妻子則如之何、王曰、棄之、曰士師不能治士、則如之何、王曰、已之、曰、四境之内不治、則如之何、王顧左右而言他。

孟子が斉の宣王に言った。
孟子「たとえば、王の家臣で楚国に外遊しようとするものがあったとします。その者が彼の友人に留守中妻子を預けたとします。しかし外遊から帰ってみれば、妻子を飢えて凍えさせていたとします。王はこの家臣をどう扱いますか?」
斉宣王「そのような者は、見捨ててしまうでしょうな。」
孟子「たとえば、士師(裁判長官)が配下の者どもを管理できないとしたら、王はこの士師をどう扱いますか?」
斉宣王「そのような者は、罷免してしまうでしょうな。」
孟子「では、国境内が統治できていない。さあどう扱えばよいのでしょうか?」
宣王は、左右の側近を向いて、別の話題に転じた。

王の責任論である。これは、少し後の梁恵王章句下、八に直結する。孟子は仁義の原理主義者として人間に例外を認めずに論ずるので、人の最上位に立つ君主が不仁であり仁政を施さないことに対して辛らつな評価を下す。本質的に革命思想なのである。この章を読んで吉田松蔭は、「吾、千歳の後に生まれ、書を読み茲(ここ)に至り、直(ただち)に唾罵せんと欲す」と激越な言葉を吐いている。孟子の警告を聞こうともしない宣王にツバをひっかけてどなりつけてやりたい、というのだ。

友人の信頼、役人の職務、そして君主の責務という段階論で社会的人間の責任を論議している。社会システムのミクロからマクロまで同一の原理をあてはめようとする孟子の姿勢がここでもよく表れている。ところで、この章で初めて孟子は友人について言及している。友人との社会的関係は「信」の徳目で位置付けられる。『論語』学而篇では、孔子の高弟の一人曾子の言葉として、「私は一日に三度わが身を反省する、、、(その一つは、)朋友と交際して信を行わなかっただろうか」(「吾日三省吾身、、、與朋友交而不信乎」)とある。この場合、「信」とは「信用」のことであろう。現代日本語で「信用」は、人間関係の用語(「友人を信用する」)として使われると同時に経済用語(「信用を使って株の売買を行う」)としても使われる。つまり他人との一定の距離を置いた相互信頼の関係であって、仁のように無条件で愛する心ではない。また礼のように上下の秩序を前提とした人間関係ではなくて、むしろ対等の他人との関係である。

孔子とその直弟子の語録である『論語』ではこの友人との関係がしばしば言及され、「信」もまた(特に冒頭の学而篇で)よく言及される。ところが、『孟子』では友人に対する言及が実はとても少ない。孟子の定義する根本善も「仁・義・礼・智」の四つであって、「信」が入っていないのである。「仁・義・礼・智」の四つに「信」を加えて五常(ごじょう)を人間の根本善と位置づけたのは、時代が下って前漢時代の大儒学者、董仲舒(とうちゅうじょ)である。

思うに、孟子はライバル思想家たちとの競争の中で、首尾一貫した統治思想の構築に傾いていった。その過程では、上下の社会秩序を人間の自然な「他人に配慮する心」の正しい発露の結果として説明することを主要とするあまり、対等な人間である友人関係、そしてそれを支える徳目の「信」は軽視するしかなかったのだろう。しかし前漢時代になって文帝・景帝期の安定した社会の時代を迎えたとき、どうしても人間の経済活動や仕事関係を支える徳目として「信」がなければおかしい、と董仲舒は考えたのではないだろうか。単に陰陽五行説にこじつけて人間の根本善を一つ増やしただけではないような気がする。

対等な人間関係を軽視する孟子の主張は、朋友との共感を相当重視する先輩孔子や弟子の曾子・子路(しろ)らの『論語』での発言に比べて、少々息苦しいものを感じてしまう。孟子は、「不動心」を持って一人立つ厳しくてかつ淋しい魂の持ち主として君子のあり方を説く。この儒教の信者としての君子がどのような心を持つべきか、という論議は、後の公孫丑章句で詳しく展開される。その時に、君子にとっての朋友の意義と共に改めて検討してみることにしたい。

(その後の中国社会でも、儒教エリートである高級官僚たちが「信」をどれぐらい重要視したかは、もうひとつはっきりしない。だが、中国社会でも本音の部分では上下秩序にとらわれない友人との関係を求めてやまなかっただろうことは、杜甫の詩『衛八処士に贈る』などによく現れているではないか。また、『三国演義』も劉備・関羽・張飛の義兄弟の友情があるからこそ物語が映えるのであって、趙雲や諸葛亮の忠義だけでは息苦しくて充分に人を感動させることができなかったのではないか、などと、勝手かもしれないが思ってしまう。)

《追加》孟子は滕文公章句上、四で「だが人間というものは飽食・暖衣してぬくぬくと暮らし、何も教えなければ禽獣(ケダモノ)と同じだ。聖人の舜はまたこれを憂えて、契(せつ)を司徒(文部大臣)に任命し、人民に人倫を教えさせた。すなわち父子には親、君臣には義、夫婦には別、長幼には序、朋友には信である」と言っている。この「五倫」(ごりん)の主張は、孟子の直系の師である子思(しし)の著作とされる『中庸』の「天下の人が行うべき究極の道は五つ、、、すなわち、君臣、父子、夫婦、兄弟、朋友の交わりである」(第二十章「天下之達道五、、、曰君臣也、父子也、夫婦也、兄弟也、朋友之交也」)と照応していると思われる。確かに朋友との関係は夫婦関係と共に子思→孟子の倫理体系で実践道徳の最重要項目のひとつとされている。だが、孟子が具体的に人間秩序のあり方を語ろうとすれば、夫婦関係と共に朋友関係は父子・君臣の上下関係に圧殺されるしかない。男女・友人の関係は上下の秩序ではとらえきれないからである。(2005.09.25)

(2005.09.22)



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