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告子章句下





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宋牼將之楚、孟子偶於石丘、曰、先生將何之、曰、吾聞秦楚搆兵、吾將見楚王、説時罷之、楚王不悦、我將見秦王、説而罷之、二王我將有所偶焉、曰、軻也請無問其詳、願聞其指、説之將何如、曰、我將言其不利也、曰、先生之志則大矣、先生之號則不可、先生以利説秦楚之王、秦楚之王悦於利、以罷三軍之師、是三軍是士、樂罷而悦於利也、爲人臣者懐利以事其君、爲人子者懐利以事其父、爲人弟者懐利以事其兄、是君臣父子兄弟、終去仁義、懐利以相接、然而不亡者、未之有也、先生以仁義説秦楚之王、秦楚之王悦於仁義、而罷三軍之師、是三軍之士、樂罷而悦於仁義也、爲人臣者懐仁義以事其君、爲人子者懐仁義以事其父、爲人弟者懐仁義以事其兄、是君臣父子兄弟、去利懐仁義以相接也、然而不王者、未之有也、何必曰利。

宋牼(そうけい。ケイはうしへん+「輕」の右側。以降、宋ケイと表記)が楚に赴こうとしていた。孟子が、宋ケイと石丘(せききゅう。地名)で会見した。
孟子「先生は、どちらへ行こうとしておられるのか?」
宋ケイ「余は、秦と楚が戦おうとしているのを聞いたのだ。余は楚王に会見して、戦いをやめさせようと考えている。もし楚王が喜ばなければ、次は秦王に会見してやめさせようと思う。楚王と秦王のどちらかは、きっと余の考えに同意してくれるだろう。」
孟子「ほほう。よろしければ、この軻(か。孟子の名。自分の名で自称するのは、相手にへりくだっているのである)に詳細にとは申しませんが、その要点を聞かせていただけないでしょうか。王たちにどのように説得なさるおつもりか?」
宋ケイ「余の要点は、戦争が不利であることをわからせることにある。」
孟子「先生のその志は、まことに偉大ですなあ。しかし、先生の主張はいけません。先生は利益をもって秦と楚の王を説得しようとなさる。そして秦と楚の王がその利益を理解して喜び、三軍(軍団三単位。ここでは大軍のこと)の出兵をやめたとします。そうすれば三軍の将兵は出兵がなくなったことを安堵して、国が利益の判断によって誘導されたことを喜ぶようになるでしょう。だが人臣たる者が利益になびいて利益目当てに君主に仕え、子たる者が利益になびいて利益目当てに父に仕え、弟たる者が利益になびいて利益目当てに兄に仕えるようになったらどうします。これは君臣父子兄弟から仁義がなくってしまう道です。利益になびいて利益目当てで互いに交際するようになって、それでも国が滅びなかった例など、いまだかってありません。しかし先生が仁義をもって秦と楚の王を説得し、秦と楚の王が仁義を理解して喜び、三軍の出兵をやめたとします。そうすれば三軍の将兵は出兵がなくなったことを安堵して、国が仁義によって誘導されたことを喜ぶようになるでしょう。人臣が仁義になびいて仁義によって君主に仕え、子が仁義になびいて仁義によって父に仕え、弟が仁義になびいて仁義によって兄に仕える。こうして君臣父子兄弟が利益から遠ざかって、仁義の道で互いに交際するようになるのです。ここまでして天下の王者とならなかった者は、いまだかってありません。どうして利益ばかりおっしゃるのです?」

本章の宋ケイ(宋「コウ」とも読まれる)とは、『韓非子』顕学篇に出てくる宋栄子(そうえいし)のことに違いない。そこでは「宋栄子の論ずるところは、戦いを避け、仇討ちに荷担せず、投獄されることを恥じず、侮られても恥としないというものである。世の君主はこれを寛大と評価して、礼儀を持って遇する」とある。顕学篇は戦国時代隆盛していた儒家と墨家を攻撃する内容だから、宋ケイすなわち宋栄子は墨家の一派とみなされていたということである。確かに秦・楚を回って非戦を説き、利益をもって君主を説得しようとする論法は、まさしく墨家のそれに他ならない。その墨家の宋ケイを、本章では孟子がへりくだって敬愛している。これはどうしたことであろうか。ひょっとしたら、孟子は若い頃に宋ケイから影響を受けたのかもしれない。この宋ケイが『墨子』公孟篇に出てくる「墨子」の正体であったと想像するのも、ちょっと面白いかもしれない。

さて本章は、梁恵王章句上、一の主張を再説したものである。「王よ、仁義だけを唱えなさい。どうして利益ばかりおっしゃるのです」と梁の恵王に説いた言葉が、宋ケイとの対談で再現する。人の上に立つ君主は自分の中にある「他人に配慮する」心を大きく広げて仁政を行なわなければならない、という孟子の政治思想に沿った発言である。だから、王に説得するのに利益で誘導しようとする宋ケイの姿勢は批判される。なぜか。君主が利益を理解して戦争がなくなったら、その時だけはよいかもしれない。しかし目上の者が利益を計算して行動するようになれば、目下の者に必ず伝染する。「人の上に立つ者が好むことは、必ずそれを見ている下の者がさらに輪をかけてまねるようになる」(滕文公章句上、二)からである。そうなれば、人間にとって最も大事な徳である仁義による人の結びつきが崩れてしまうだろう。そのようになって求心力を失った国家が滅びなかったことなど、いまだかってない。本章も、利益の計算を強調する墨家の宋ケイを批判することを通じて、仁義こそが人間の本性であってかけがえのない「天爵」であり、それを失ってはならないという告子章句の一貫した主張に従っている。

これまでに何度も述べたように、孟子の主張は人間各人のよき生き方を主張するところに意義があるだけではない。それはまた、社会の人々をつなげて結集させる力を「他人に配慮する」心を伸ばしていくところに見出していることにある。個人を律する倫理が社会を統治する倫理にもなっているのが、儒教なのである。仁義の原理は、そもそも人間の集団である社会を成り立たせている前提を指摘しているのだ。

しかし先ほどの『韓非子』顕学篇では、儒家が墨家と並んで批判されている。以下は、法による統治の功能を力説して、儒家をインチキ論者と切って捨てる痛烈なくだりである。

そもそも聖人が国を統治する道は、他人が自分のために善事をなすことを恃(たの)まない。そうではなくて、他人が自分に反することができなくさせる方法を取るのである。人が自分のために善事をなすことを恃んでも、そのような者は国内に十数人もいない。しかし人が自分に反することができなくさせる方法を取れば、一国すべて統治できる。統治する者は、多数の力を用いるのであって小数の力などは顧みない。だから、徳を修めることなどせずに、法を適用する努力をするのである。(中略)賞罰の法を恃まずに、善なる人民の自発性をアテにする道など、明主は尊ばない。なぜならば国の法を失うことは許されないし、統治する対象は一人でないからである。ゆえに、統治の術を心得た君主は、場当たり的な善(すなわち仁義の徳とか兼愛の利とか)などに従わず、必然の道(すなわち賞罰の法の適用によるルールの厳守)を行なうのである。

(中略)

今、巫祝(ふしゅく。祈祷師の類)が人を言祝(ことほ)いで、「なんじに千秋万歳あらんことを!」などと言う。千秋万歳の声は耳に大きく響くが、その掛け声で一日でも長生きできる証拠などはない。これが、人が巫祝を軽んじるゆえんである。今、世の儒者どもが君主に説く内容は、今現在の統治をどうするべきかを説かずに昔の時代の治世の功業ばかり並べ立てる。彼らは官職や法を詳細に語らず、邪悪な家臣がはびこる朝廷の内実を明らかにせずに、皆大昔の伝説を語っていにしえの王の成功物語を称えるだけだ。儒者は言葉を飾り立てて、「我が言葉を聴けば、覇王になることができます!」などと言う。彼らは、説者の巫祝である。道理を理解する王は、彼らの言葉を採用しない。だから明主たるものは、実際に役に立つ事業を採用し、無用の説を遠ざけ、仁義などを言わず、学者どもの言葉を聴かないのである。

結局、儒家にも墨家にも共通していた欠点は、個人の倫理ばかりを重視して社会システムの冷静な現状分析を怠っていた点であった。いにしえの聖王を賞賛し、個人の倫理から社会の倫理を展開する儒家の学説は、それだけでは公正で能率的な社会を作ることができない。非戦兼愛を唱え、天下の利益のために一心不乱に働けと説く墨家の主張もまた、個人の倫理としては大変立派ではあるが社会システムを知らない点では儒家と同様である。『韓非子』顕学篇は、儒家とか墨家とか言った個々人の持つ信条を越えたシステムを社会に敷くべきことを強調する。それは世界的にもいち早い脱イデオロギー思想であった。戦国時代の思想は、ここまで行き着いたのである。しかし法家は脱イデオロギー思想だからこそ、人間の善を求める欲求に答えることができない。漢代以降の統治思想は、結局儒教に行き着くこととなった。そのとき法家と綜合がなされずに、孟子の儒教のような個人倫理の延長としての統治思想が圧倒してしまったことは、残念なことであった。古代社会でしかもサイズが巨大すぎる中華帝国では、近代国家のような精密な統治はしょせん無理だったのであろうが。


《次回は告子章句下、六

(2006.02.27)



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