盡心章句上
四十三
公都子曰、滕更之在門也、若在所禮而不答、何也、孟子曰、挾貴而問、挾賢而問、挾長而問、挾有勳勞而問、挾故而問、皆所不答也、滕更有二焉。
弟子の公都子が質問した。
公都子「滕更(滕公の弟)どのは、今、先生に入門しています。当然礼を持って遇するべきなのに、先生は彼の質問に答えもしません。それはどうしてでしょうか?」
孟子「答えなくてよい場合がある。己の身分を頼みにして質問する場合。己の知識を頼みにして質問する場合。己が年長なのを頼みにして質問する場合。己が着せた恩を頼みにして質問する場合。そして己が旧知の間柄なことを頼みにして質問する場合だ。以上の場合すべてにおいて、答える必要はない。そして滕更には、そのうち二つがある。」
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滕更が師に対して犯した二つが何かなのかは、よくわからない。もし彼が滕文公の弟であるとしたならば、年長であるはずはないだろう。残りの四つのうちのどれかであろうか。
身分が上だからといって賢者を呼びつけにできないということは、これまで何度も言われてきた。魯の繆公(ぼくこう)が子思を友人扱いしようとしたことに機嫌を悪くしたエピソードの解釈として、それは「人徳から言えば公は私の弟子ではないか」と考えたのだとみなしたように(萬章章句下、七)。君主が賢者の力を得ようと思うならば、身分秩序を乗り越えて頭を下げて礼を尽さなければならない。君主だから下の身分の者の献身を無条件で得られると思うのは、大間違いなのである。本章も、儒家が理想とする君子の、決して無条件の奉仕労働などしないプロ魂を示したものである。確かに法家が儒家を批判するのももっともで、このような精神を官僚たちが持っていては主権者はやりにくくて仕様がないだろうが。
(2006.03.29)